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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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墨田稲荷神社 平成20年6月 (3年毎) |
神輿データ: 祭神: 倉稲魂命 台座:三尺三寸(101) 建造年度:大正5年 (1916)
製作者: 不明 延軒屋根・平屋台造り 桟唐戸の細工や彫刻が見事。 |
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祭礼行列を組んで鐘ヶ淵駅前商店街いっぱい使っての墨田稲荷神社の神幸祭 |
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墨田稲荷神社神幸祭
'08.06.15.(日曜)
宮出し 8:30
宮入 16:00
墨田区墨田4-38-13
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隅田稲荷神社は 俗に「善左衛門稲荷」とも呼ばれ, 天文年間に創建された神社で、
天文年間(1532〜54)伊豆の堀越政知の家臣だった江川善左衛門雅門が戦いに敗れて、
この地墨田に逃れてきて開墾し伏見稲荷を勧請して氏神とした。 |
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墨田稲荷神社の神幸祭の渡御行列は休息後の13時から、
渡御行列も整い東武伊勢崎線の鐘ヶ淵駅踏み切りから墨田4丁目氏子区域そして神社へと再開です。
3年に一度の神幸祭は露払いの金棒、御幣、社旗、榊、獅子頭屋台、天狗、賽銭箱、祭幟、
トラックに乗った祭囃子、そして宮神輿と続き、最後はオープンカーに乗った宮司が殿です。
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御幣が神幸祭の祭礼行列を先導します |
獅子頭は黒光りして歯は金色に輝く |
猿田彦が祭り囃子や宮神輿を道案内 |
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黒光りの大屋根に駒札は本宮 |
大活躍の熱き女性陣にも木が入る |
渡御区間短いので担ぎ手交代が頻繁 |
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古式に則った宮神輿の引渡し式です。
渡御してきた引渡し側は 担当役務と担当者名を読み上げれば、
その都度引き受け側の担当者が「お〜う」と大声で答える。
引き受け側が役務と担当者名を読み上げれば、
引渡し側からその都度宮神輿の前で用具を手渡すのです。 |
宮神輿の引渡し式のために木が入る |
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厳粛に宮神輿渡御の引渡し式が始まる |
神幸祭の祭礼行列の用具が個々に引き渡される |
宮神輿の本宮の留守を預かる墨田稲荷神社神輿(中神輿)と万灯神輿の一之宮。
中神輿は陰祭のときに担ぎ出される。
万灯神輿の善一之宮は昭和49年(1974)の建造であるが、
経年劣化激しく神輿庫にて展示で、宵宮には善二之宮が担ぎ出される。 |
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中神輿は陰祭で主役になります |
万灯神輿一之宮は痛み激しく神輿庫に鎮座 |
墨田稲荷神社は万燈神輿の発祥の地なのです。
約140年前の元冶年間(1864〜65)に江川善左衛門雅門の遺徳を讃えた里人が、
万燈に善左衛門の開拓由来の錦絵を描いて神輿として担いだのが始まりと伝えられる。
万燈神輿は, 茅ヶ崎・木更津・つくばなど 関東各地でも見ることができる。
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夕暮れの渡御を待つ万灯神輿の二之宮 |
稲荷の神の使いの狐の下には善二之宮の額 |
藤の花が弓張り提灯を引き立てる |
昭和49年、復活した万燈神輿の善一之宮は1.4b四方、高さ2b、重さ1トン、
善左衛門縁起由来の絵を四面にあしらい、弓張り提灯60個を掲げ、
上に鳳凰の代わりに稲荷の神の使いの狐が乗りフジの花が華やかに垂れ下がる。
大祭期間中は経年劣化激しく神輿庫にて展示される。
万燈神輿善二之宮は昭和末期に一之宮と同型で建造されたと思われる。 |
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