歴史の 浪漫街道 お江戸の神輿  府中の本村神社は周辺の神社氏子達がお神輿担ぎの応援に駆け参じる。
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    本村神社 平成20年7月 (毎年)

神輿データ:神: 天照皇大神 台座:三尺二寸(97) 建造年度:明治時代 
  製作者:浅草・宮本重義  特記: 延軒屋根・勾欄造り・背高神輿。
 

押立本村神社。08.07.20.
山車の祭囃子が鳴り近隣神社の応援氏子で担ぐ押立本村神社

本村神社は神仏習合の名残か竜光寺脇に建つ。08.07.20.   府中 本村神社例大祭。 '08.07.20.(日曜)14時から。
押立村は、寛文年間の大洪水で、多摩川を挟んで村が両岸に分断されて、南側の府中市側を本村、 北側の稲城側を向押立と称したが、江戸時代初期の多摩川の洪水の後、当社が創建され、もとは牛頭天王社といった。 本村神社はこの府中市側押立の鎮守様なのです。
東京都府中市押立町4-35。
竜光寺脇にひっそりと佇む本村神社

神社前で御霊移しの儀が行われる。この後、乾杯があり宮出しとなる。
周辺の神社は稲荷系で祭礼が秋になるために、神輿担ぎの人気が高く、 近隣の神社氏子が多数集まる。
  集落総出で神社前路上での式典。08.07.20. 御魂遷しを終えて役員や応援氏子氏名読み上げ渡御。08.07.20.
小さな祠の前での和やかな式典 山車の祭囃子に送られて大太鼓が先導

お神酒所は押立文化センターで神輿が神社前まで押して行き、 午後2時から祭典、御霊移しが行われ、神輿、山車、太鼓の渡御は午後3時で、 神主が先頭に立ち御幣で氏子町内の家々約200軒の各戸の息災を願い、 お祓いしながら午後8時頃までかかって巡幸する。 道が狭いため神輿の担ぎ棒を外す場合もあり太鼓も小ぶりです。

 
山車の祭囃子が鳴る中で神輿が揚がる。08.07.20. 左手は氏子、右手は応援氏子で担ぐ。08.07.20. 近隣神社の応援氏子は雪駄履き。08.07.20.
本村神社神輿は路地狭く二天棒で担ぐ 応援担ぎ手はゆったり雪駄履き担ぎ 小振りでも見栄えする宮神輿

押立本村は幕末の地誌(新編武蔵風土記)では民戸94軒と記載されており、 当時の集落としては大きいが、 大洪水の経緯からか隣接の村落との互助制度が現在も引き継がれているのか、 祭礼時には周辺神社氏子達の担ぎ手応援団が多数駆けつける。  

府中囃子を奏でながら神輿の後から付いていく。08.07.20. 本村の神輿庫は押立神社境内で彫刻は狐。08.07.20. 本村の祭神の素盞鳴尊の彫刻。08.07.20.
神輿の後から府中囃子を奏でる山車 押立神社の祭神の稲荷のきつね 本村神社の祭神の素盞鳴尊の大蛇退治図

山車は比較的新しく、平成4年に完成。 本村神社の祭神、 素盞鳴尊が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治している図を右に。 同じ集落の中に建つ(安土桃山時代創建=旧社名は手津久里稲荷・てっくり稲荷)押立神社の祭神、 お稲荷様が左に彫り込まれている。
押立神社の例祭は9月15日で神輿は持たないが、両神社の祭囃子にこの山車を使うためでしょう。

山車は新しいものの、押立のお囃子は調布の上石原と合同で昭和4年より囃子を始めたという。
府中囃子には、目黒流と船橋流の二つの流派があり、 大國魂神社を中心にして西側が目黒流、東側が船橋流に分かれていて押立は船橋流です。
 



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