歴史の浪漫街道   お江戸の神輿 多摩川の洪水による村分断後に創建された神社で押立集落の祭りの伝統を守り渡御する府中押立本村神社
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    府中押立本村神社 平成26年7月 (毎年)

神輿データ: 祭神: 天照皇大神 台座:三尺二寸(97) 建造年度:明治時代 製作者:浅草・宮本重義
特記: 延軒屋根 勾欄造り 背高神輿です。  山車は平成4年の建造 太鼓は昭和9年の建造で平成26年修復工事された。
 

伝統と伝承の独特の祭り衣装で渡御。'14.07.20.
神社前から伝統と伝承の独特の祭り衣装で身を包み二天棒で路地中を渡御をする氏子衆

押立本村POP。'14.07.20. 押立本村神社の社。'14.07.20. 路上での宮出し神事。'14.07.20.   押立本村神社祭礼
14.07.20.(日曜)
 宮出し15時〜
   宮入 夕刻

宮神輿は途中の渡御路で四天棒に組み返られ、大太鼓と山車が渡御に随行する。
府中市押立町4-35
押立本村POP 小さな押立本村神社の社 路上での宮出し神事

押立本村神社 祭神:天照皇大神、倉稲魂命、素盞嗚命。
由緒は不詳だが江戸時代初期の多摩川の洪水の後、当社が創建され、もとは牛頭天王社といった。 押立という地名は対岸の稲城市にもあるが、これは洪水で村が南北に分断された名残りで、府中側を本村といい、稲城側を向押立という。
 

明治時代建造の宮神輿。'14.07.20. 三尺三寸大太鼓。'14.07.20. 深い彫刻が自慢の山車。'14.07.20.
明治時代建造の宮神輿と乾杯用お神酒 三尺三寸太鼓は昭和9年の建造 平成4年の建造の彫刻が自慢の山車

路地中を渡御のため二天棒。'14.07.20.
神社前通りから二天棒で担ぎ周辺の路地中を渡御して行く宮神輿

神社の北側に隣接の龍光寺(神明山薬王院)には、 江戸時代前期に押立村の名主であった川崎平右衛門定孝 (元禄7年・1694〜明和4年・1767)の墓がある。  

二天棒の背高神輿。'14.07.20. 二天棒担ぎ。'14.07.20.
神社前通りを背高神輿を二天棒で渡御 二天棒神輿を器用にバランスとり担ぐ

集落の仲間で和気藹々。'14.07.20.
飛田給や押立近郊集落の気心知れたお仲間の担ぎ手達で和気藹々の担ぎ

修復された大太鼓。'14.07.20. 直置き。'14.07.20. 深彫る彫刻の山車。'14.07.20.
平成26年修復工事の大太鼓 駐機中は馬を使わず直置き 押立本村の素盞嗚命と合祀稲荷の山車

昭和9年に宮本卯之助商店製作の3尺3寸の大太鼓は、 府中市制60周年記念大太鼓パレードに参加するため台車も含め平成26年に同店で修復された。
山車は押立本村神社の祭神素盞嗚命が大蛇退治している図を山車の右に、 合祀の倉稲魂命のお稲荷様が左に深く彫り込まれている。
 

四天棒に組み替えて渡御。'14.07.20.
中央高速道で分断された集落の飛田給3丁目側に入り込み四天棒に組み替えて渡御

多摩川名称の由来は諸説あり、よくわかっていない。 万葉集東歌に「多麻河」として登場するが、承和2年(835年) 中央から発せられた官符では丸子の渡し近傍をもって「武蔵国石瀬河」と呼称され、11世紀の更級日記にも同名で現われている。 上流の 「丹波川(たばがわ)」との近似はよく言われることである。 江戸時代には同音の字を使って玉川(たまがわ)の名が使われることが多かった。 そのため、現在でも玉川の名は地名などに多く残る。  


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