歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。宝暦宮神輿が二百mの急参道石段で宮出し宮入をする相模湖与瀬神社
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    相模湖の与瀬神社例大祭 平成25年04月 (毎年)

拝殿前の急石段からの神輿降ろし。'13.04.13.
与瀬神社例大祭の圧巻は落下防止ワイヤーの命綱と支え役が頼りの拝殿前の急石段降ろし

日付表示のみのPOP。'13.04.13. 国道から望む参道。'13.04.13. 急石段が境内まで続く参道。'13.04.13.   与瀬神社の例大祭
'13.04.13.(定日)
  12時半 宮出し
  18時 宮入
国道20号線沿い参道入口近くに社務所がある。
神奈川県相模原市
   緑区与瀬1392
例大祭POP 急石段の参道入り口 鳥居から隋神門と拝殿へと続く

与瀬神社の祭神は日本武尊。創建は不明ですが、神像の台座に享禄(1530年頃)の記載があり、 相模川の北岸に祀られていたが、天和2年(1682)に現在地へ遷座 吉野山の蔵王権現を勧請した古社で「与瀬の権現様」と呼ばれている。
明治37年(1904)の大火災で絵馬殿・御霊社・御輿堂を除いて焼失したが大正から戦後にかけて再建している。
昭和43年に開通した中央高速道に、珍しいテラス状の参道高架横断橋がある。
 

神楽殿で与瀬神楽。'13.04.13. 拝殿へと担ぐ神輿庫前で大きく傾く。'13.04.13. 拝殿へ神輿がすれすれに潜り込む。'13.04.13.
神楽殿で与瀬神楽の奉納 御魂遷しの拝殿への担ぎが傾く 屋根乗り指揮者の指示で拝殿へ

例祭日は4月13日で「歩射」(厄払いも四方に矢を射る)「御幸」など他に類例ない神事が伝わる。 社宝に県内最大の直径2mの大太鼓があり、この太鼓を中心に演じる組太鼓 「権現太鼓」は例祭日と8月1日の湖上祭で披露されるとか。

12時20分御魂遷しの儀始まる。'13.04.13. 掲げる作札は浅草六丁目宮本重義。'13.04.13.
担ぎ込まれると白幕で拝殿を覆う御魂遷し 御魂遷し終えて拝殿から慎重に担ぎ出し

神楽殿で与瀬神楽の奉納が終了すると、 打ち上げ花火の合図と共に神輿庫前に鎮座の台座四尺(121cm)の宝暦10年(1760) 江戸の商人達が奉納したと伝わる宮神輿が拝殿に担ぎ込まれて、素早く白幕で覆い御魂遷しの儀です。  

境内社の天神社、熊野神社、客神社前。'13.04.13. 黒く焦げた絵馬殿前を担ぐ。'13.04.13.
拝殿下がりと同時に境内社前を通り本殿三周へ 明治の大火災で柱や梁が黒く焦げた絵馬殿前

神事終えると白装束の担ぎ手に担がれて、拍子木とハンドマイクの掛け声に鼓舞されて、 静寂の境内の拝殿と本殿を三周担いで宮出しのご挨拶です。  

拝殿前の急勾配石段をそろりと降り出す。'13.04.13.
急勾配の恐怖心を打ち消す「ヤヨー」「キヨ」の勇ましき掛け声が急石段の参道に響き渡る

「ヤヨーキヨー」の掛け声は、これは昔八与・喜与の二人の若者が相模川(現在の相模湖)の漁でご神体が網に掛り、 祠を建てて祀ったことを称えている。  

大声で自らを奮い立たせる担ぎ手。'13.04.13. 必死に堪える担ぎ手達。'13.04.13.
急石段の参道降ろしの恐怖心を大声で払拭 体勢が崩れ必死に踏ん張る担ぎ手達

随身門からの神輿降ろし。'13.04.13.
随身門をギリギリ潜りぬけ息つく暇なく門からの細い急石段の再度の神輿降ろし

ワイヤー命綱頼りの石段降ろし。'13.04.13. 急石段降ろし達成の安堵漂う。'13.04.13.
三つ目の最後の難関テラスから広い急石段降ろし 参道入り口の鳥居下にたどり着き安堵の色

参道入り口脇の社務所からの渡御。'13.04.13. 男神輿衆も心和む稚児達。'13.04.13. 国道から相模湖駅前へ。'13.04.13.
祭礼隊整えて社務所から渡御 祭に花添える山車曳く稚児達 差上げご挨拶で相模湖駅前へ

威勢良い担ぎがロータリーに入り込む。'13.04.13.
拍子木とハンドマイクに鼓舞されて裸神会の威勢よい担ぎで相模湖駅前へと入り込む

国道与瀬郵便局前の渡御。'13.04.13. 駅前国道歩道橋を渡御。'13.04.13.
与瀬郵便局前の開放感に浸り甲州街道渡御 休息後の余裕の担で駅前国道歩道橋を渡御

精進衆とは「ヤヨ」「キヨ」の子孫にあたる方で、神職とともに祭祀の重要な役割を果たします。 また担ぎ手の白装束の若者達は与瀬神輿保存会の裸神会のメンバーで、相模湖町の有志が平成4年に結成した会です。
社務所から渡御した祭礼隊は相模湖駅前ロータリーにて休息後、 14時からは相模湖畔、御供岩など神社周辺のコースを練り歩き宮入する。
 

風雪に耐える随身門。'13.04.13. 傷み激しい随身。'13.04.13. 明治天皇休息所の址碑。'13.04.13.
随身門の残念太刀が無い右大臣 傷み激しく矢も無い左大臣 明治天皇休息所の址碑

甲州街道の與瀬宿は、日本橋から十六里四町(63.4km)15番目の宿。 天保14年(1843)で人口566名、総家数114軒、本陣1軒、旅籠6軒という規模でこの宿場の名物は相模川(現在の相模湖)の鮎でした。 明治天皇が小休止の址碑が與瀬神社参道脇に建てられているが、そこが与瀬本陣のあった所なのでしょう。  

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