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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 日本各地の神輿 |
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三郷彦倉 大杉神社 子(ねの)神社末社 平成26年6月 (毎年) |
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延命院彦倉虚空蔵尊堂境内で上下に揉んだ後に神輿を倒しながらアオレ!あおれ!と激しい神輿揉み |
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三郷彦倉 大杉神社 子(ねの)神社末社 '14.06.21.(土曜)
宮出し 13時〜 宮入 20時30分 埼玉三郷市彦倉1-66
武蔵野線新三郷駅より「グローバル交通」 5番乗り場が便利です |
大判の多色刷りPOP |
流山大杉と譲歩し合って土曜日の大祭 |
子神社末社の五色旗下げる大杉神社 |
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当社は「風土記稿」に 「権現社 村の鎮守なり、
本地仏十一面観音、銅像にて長一尺許、運慶作、延命院持」とあり、現在もこの像(木像)を内陣に安置している。
「明細帳」に「往古ヨリ現地二勧請シ村内鎮守二有之候処元禄十丑年検地前ヨリ除税地トナリ社殿再建後及大破文久二戌年
氏子尽力シテ再建シ明治六年村社二許可」とある。
昭和37年(1962)、彦江小学校(現・彦成小学校)建設に伴い、別当であった真言宗で虚空像堂として有名な延命院の裏手から現在地へ移転した。 |
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拝殿前での簡素な神事 |
境内で宮出しの神輿揉みご挨拶 |
下げて差し上げを三回繰り返す |
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宮出しは低い鳥居を地表すれすれに神輿下げて潜る |
渡御中の担ぎは左右の担ぎ手達が寄り掛かる様に |
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指揮者の合図で片方の担ぎ手がしゃがみ込めばその反動で向かいの担ぎ手は差し上げ |
渡御の途中に台座が三尺二寸(98cm)ある宮神輿を片方の担ぎ手がしゃがみ込む神輿揉みです。
非常にキツイ担ぎ所作です。特に短い外棒担ぎ手はきつそうです。 |
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休息所の役員宅門前で掛け声ヨオヨオヨオのヨ〜の神輿揉み |
簡素な渡御神事脇を子供神輿に急ぐ祭り衣装姿の稚児 |
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彦倉旧道での神輿揉み 危険防止のために吹返しは屋根に寝かし蕨手の小鳥は付けない |
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延命院彦倉虚空蔵尊堂と奥の延命院本堂 |
境内へと山門 (仁王門)を潜り |
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延命院彦倉虚空蔵尊堂境内で上下に三回の神輿揉みを繰り返してから息を合わせて神輿を倒し |
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アオレ!あおれ!アオレ!あおれ!の掛け声で倒し続けながら旋回し始める |
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アオレ!あおれ!の掛け声で神輿倒しのまま広い境内を縦横に旋回する |
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激しい神輿揉みで差し上げ倒したまま大旋回するので足を絡ませて転ぶ担ぎ手もいる |
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自ら楽しく愉快に行動する未来の頼もしき祭り人達です。
三郷彦倉 大杉神社の神輿揉みは、
行徳担ぎの地摺り風と南千住素盞雄神社の天王祭の神輿振りが混ざった神輿揉みです。
宮出しご挨拶で上下に神輿を差し上げる所作を連続3回行ってから出て行く。
この所作は節目節目で行われ、上下差し上げを十数回連続して行う所作は氏子境界線などで行われる。 |
三郷で彦の付く地名は、中川沿いと県道29号線沿いに多く見られます。
中川は、その昔、利根川と荒川の本流でした。
低く平らな湿潤地が形成されました。
川の流れによって土砂が堆積した微高地も形成され、そこに集落が生れました。
この集落に地名を付ける時に、本体から突出したという意味の「ヒコ」を用いて、
大字に彦成、彦糸、彦野、彦倉、彦江、彦音と地形地名を付けたものではないかと思われる。 |
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yahoo!japan
登録サイト フリ-ソフトで作成のHP。 |
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