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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 日本各地の神輿 |
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東金 火正神社 例大祭 平成27年3月(隔年) |
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享保18年(1733)建造の台座四尺の宮神輿が瓔珞付けての神輿振り |
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火正神社POP |
社殿と対峙する宮神輿が式典を待ち鎮座 |
火正神社の欄間には漆喰で造られた白龍 |
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火正神社(かしょうじんじゃ) 祭歴317年の例大祭 '15.03.28.(土曜)
宮出し14:15〜御仮屋14:45〜第一保育所、阿部倉下公園、南公園、 西公園、参道東上会館17:10 御仮屋泊。
29日(日曜) 御仮屋11:00〜田間神社13:40〜火正神社19:00。
火正神社は元禄11年(1698)に創設。千葉県東金市1352番 京成バスが便利
祭神は迦具土神 (かぐつちのかみ・火の神、鍛冶の神で、全国の愛宕神社、秋葉神社などの祭神です)
神社入り口の鳥居は享保17年(1732)4月建立。 |
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福島藩祖の板倉重昌が慶長19年(1614)に徳川家康と共に東金に来訪し、以降
江戸幕府の中枢で活躍した「板倉家」が、寛文11年(1671)に幕府より拝領した土地が、
今の上宿・谷・岩崎・新宿・田間であり、享保18年(1733)以降は宮神輿が二日目には上宿から田間までの領地全てを渡御する。
例大祭恒例の宮神輿と羽織袴の役員と白丁担ぎ手(ねぎ=禰宜)の記念写真 |
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小高い岡上の境内での神前祭を終えて宮出し |
石段下の参道の鳥居を潜り神社前の県道へ |
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神社前県道での神輿振りで参道奥の社殿に渡御のご挨拶 |
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渡御中の神輿振りは定められた花向け場所10箇所のみでご披露です |
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ゆったりと交互に神輿振りを繰り返す大みこし(宮神輿) |
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県道119号線東金の定められた花向け場所での神輿振りの最後は差し上げ |
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なぜなのか?
東金踏切の路肩からJR東金駅舎へ向け花向け神輿振り。
花向け場所とは旅立ちや門出に際して、激励や祝いの気持ちを込めて、
金品・詩歌・挨拶の言葉などを贈ること。とあるが、祭礼の花向けとは、東金藩祖板倉重昌への感謝なのか。 |
花向け場所の東金線踏切を神輿は横断してくる |
路線脇の路肩で東金駅舎へ向けて??の神輿振り |
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白丁装束の禰宜による享保18年(1733)建造の台座四尺の宮神輿が瓔珞付けての神輿振り |
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宮神輿は享保18年(1733)の建造で二天棒。屋根紋の左巴紋は板倉家の家紋でもあるのです。
鳳凰が咥えるのは稲穂ではなくて、境内で膨らみ始めた桜を咥える。
台座は四尺(121cm) 昭和60年に(市川・後藤直光)と平成18年には(浅草・宮本卯之助商店)にて修復。
この東金地方の祭りはチョット変わった山車が有名で、屋形山車の先端を持ち上げるのです。
また屋形を動かすのは「はがち」。神輿を担ぐ「ねぎ」と呼称している。 |
東金(とうがね)地名の由来: 鴇が根に由来するといわれる。
当地にある西福寺境内(東金市八鶴湖に南面してたたずむ安国山最福寺=西福寺=家康ゆかりの寺)
の山嶺が鴇(とき)の頭に似ているから鴇ヶ峯と称され、
トウガネに転訛し東金と呼称されたと伝えられる。 |
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