歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。下総を代表する二宮神社の三山七年祭りは伝承と伝統の寄合祭り
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    二宮神社 三山七年祭り 宮出し 平成21年11月 (7年毎)

田喜野井氏子衆に担がれ大神宮神輿が出立つ。09.11.22.
二宮神社の拝殿前から大神の宮神輿が神揃場へむけて定刻通りの渡御出立

境内を埋め尽くす大観衆。09.11.22. 鮮やかな大判POP。09.11.22.   09.11.22. (日曜) 下総三山(みやま)の七年祭り。
千葉県船橋市三山にある二宮神社で、丑年と未年にあたる年に開催される大祭で、 下総地方を代表する三山の寄合祭りは千葉県指定無形民俗文化財です。
創建は弘仁年間(810〜24年) 主祭神 速須佐之男命 。 式内社寒川神社の後裔社であり、現在でも寒川神社と呼ばれることがある。 旧社格は郷社。三山一族が先祖代々神官をつとめていた。   千葉県船橋市三山5-20
大観衆の二宮神社社殿前 三山七年祭り

古い様式に則った神事は、まず9月の小祭り(湯立祭)では寅待会のみで三山地区を練り歩く。
11月の大祭では、前夜に禊の式が習志野市鷺沼 (昔は海岸で海水をあびたが、現在は埋め立てられいるなで桶の海水で口をすすぐ)で神事が行われる。
大祭当日は、船橋市・千葉市・八千代市・習志野市の9神社の神輿が二宮神社近くの神揃場に集まり、 御塚に鎮座して献幣の儀を行い、その後二宮神社に昇殿参拝(安産御礼大祭)する。
当日の夜間から翌早朝にかけて、二宮、子守、子安、三代王の四基の神輿によって 幕張海岸磯出御旅所の御塚に鎮座して、磯出式(安産祈願祭)が行われる。
早朝神事の後、各神社に戻るが、二宮は火の口台や藤崎、田喜野井で接待を受けながら還御。
その後6年おきになるが、7年目ごとに開催されるため「七年祭り」という名がつけられている。
「磯出祭」は安産を祈願する意味を持つ祭事だが、七年祭りでは先に「安産御礼大祭」を行うので、 「三山の祭りは後が先」と言いならわされている。
 

正式には「二宮神社式年祭」という。 550年以上の歴史があり祭りの起源については諸説あるが、 一般的には室町時代の頃に馬加城主の千葉康胤が嫡子出産に際し、 二宮神社、子安神社、子守神社、三代王神社の神主に馬加村  (まくわり=まくはり・幕張か。現在の花見川区幕張地域)  の浜辺で安産祈願をさせたことに由来するといわれ、 室町期の文安2年(1445)に現在の祭りにつながる磯出祭りが行われるようになったといわれている。   神揃場の行燈式看板の大祭日程表。09.11.22.

大神神輿が差し上げで渡御挨拶。09.11.22. 境内脇から渡御出立つ。09.11.22. 三山七年祭りの立て看板、横断幕。09.11.22.
二宮出立差し上げご挨拶 神揃場への渡御に 舁夫の田喜野井氏子が出立つ

二宮神社の神輿は小祭(湯立祭り)と大祭(七年祭り)にだけしか渡御せず、毎年行われる10月の秋まつりには渡御しない。 神輿の製作年代は不明であるが、神輿の四方にさげる鏡の裏にある鋳込文字には、 正徳五年未の九月十四日(1776)とある。  

先頭の雅楽一団が七曲接待所に入る。09.11.22. 艶やかな衣装の金棒。09.11.22. ninomiya-gosetai.jpg(11385 byte)
先頭の雅楽一団がご接待宅に 続いて田喜野井の金棒女装男子 羽織袴の役員が神輿先導

  三山(みやま)独特の仕来たり。
「寅待会」 (とらまちかい)二宮神社の神輿の管理をする会で、三山町の各家の長男で構成されている。 大祭では、三山の氏子は接待役に回るので、 神輿を田喜野井地区(船橋市)と藤崎地区(習志野市)の氏子が担ぐ。
その分、小祭りの湯立祭(9月)では、三山の氏子衆だけで存分に大神神輿を三山地区で練り担ぐのです。

「金棒」 雅楽の後から露払いをする警護の金棒。金棒役は全員化粧をして女装の華やかな七色の衣装をまとう。 隣には世話人がぴったりと寄り添い、二宮神社渡御に田喜野井氏子は4名、藤崎氏子は8名で務める。
各神社とも金棒役割の複数の青年が渡御時に意匠を凝らした独自の衣装を身につける。

「舁夫」 (かきふ)神輿を担ぐ人。「舁く(かく)」 は二人以上で肩に担ぐことを意味し、 「籠かき」などの言葉と同じ。舁夫は揃いの印半纏を着用して神輿を担ぐ。

「不寝番」 (ふしんばん)禊から帰ってくると毎回夜の10時頃になるが、神輿には翌朝まで不寝番がつく。 御仮殿内に安置された神輿の見張番であるが、社殿の四方8カ所、御仮殿前2カ所、 計10カ所にある常夜提灯の蝋燭の取替え等、境内全般の警護をする。 夜10時から翌朝9時まで、2人づつ2時間半の4交代、計8人で当たる。

「神揃場」 二宮神社に参拝するために九の神社の神輿が一堂に会して揃う場所。
実際には各神社から担ぎだされて神揃場に入り込む(入り口と出口は別)混雑や揉め事を避けるために 入場時間が決まっており、同時に役割順に参拝に出向く神輿も決められているため、九基が揃うことはない。

「竹矢来」 (たけやらい):しゅろで交差部を結んだ、竹を粗く縦横・斜めに組んだ見透しのきく簡単な垣。 参拝時のための出入り口に、神揃場、磯出御神酒所等に設置される。

「御塚」 (おつか)神揃場に九基の神輿を安置するために立体で中間に芝を挟んで土を上部1M下部1.4Mに四角く盛り固め、 御塚が作られています。 神揃場では二宮(父)と子安(母)の神輿に対峙して7つの御塚が一直線に作られる。 磯出御神酒では四つ、火の口台(かんの台とも言う=以前は市原市の大姉神の姉ヶ崎神社に向けて狼煙をあげた) では二宮神社のために一つの御塚が作られる。

「おひねり」 神輿揉みが行われると地区の人々から拍手喝采で沿道から、 紙片に包んだおひねりが神輿めがけて投げられます。 また行列の中の白丁装束の若者が首から下げている賽銭箱にお賽銭を差し上げると、 玉串を持つ白丁装束の若者がお祓いをする。

「三山」 (みやま)古くは御山、深山と書いたが、 二宮神社の祭礼役員の羽織には「御山」が染め抜かれている。

「七曲」 (ななまがり)旧道で巡行路の一つ。神揃場と二宮神社の間で実際7つ曲がる。

「祭り装束」  二宮神社の役員は着流しに「御山」みやまの紋、中折れ帽子という姿が殆どですが袴をつけている人もいる。 他の神社役員も同じ装束で明治時代の正装・礼装です。 また舁夫以外は全員が腰帯に付ける洒落た火打袋を使用する。
二宮神社は藤崎の藤若は世話人が「ふ」、舁夫は「藤」共に地名より、 田喜野井の田若は世話人・舁夫ともに地名の「た」の印紋です。
  菊田神社は神社名菊田の「田菊」  八王子神社は神社名八王子の「八」
  高津比盗_社は地名高津の「高」  時平神社は成田街道宿場の大和田宿の「大」
  大原大宮神社は地名実籾の「み」  三代王神社は地名武石の「武」
  子安神社は地名畑の「は」      子守神社は地名馬加の「ま」の印紋です。

「注連下」 (しめした)氏子の区域で、二宮神社の荘園で現在の船橋市・千葉市・八千代市・習志野市の二十一か村にまたがる広い地域であり、 千葉郡北西部 (二宮荘)の総鎮守的な存在で、現在の寄り合い祭りがその証です。

「ヤド」 休憩所(接待所)は昔から決まっていた。二宮神社は往還の二か所にある。
 

  二宮神社
田喜野井「田若」が入り込む。09.11.22. 接待所から藤崎「藤若」に担がれ。09.11.22.
田喜野井「田若」がご接待所に入り込む 藤崎「藤若」に担がれ神揃場に11時50分着

  菊田神社
白化粧の顔面が独特の金棒。09.11.22. 重心を低く組んだ菊田神社。09.11.22.
金棒の化粧と低い神輿は異彩放つ 重量感ある菊田神社は神揃場に12時00分着

  八王子神社
鮮やかな金棒は伏し目がち。09.11.22. 囃子山車が鼓舞する。09.11.22. 精悍な八王子神社。09.11.22.
花笠と衣装が艶やかな金棒 祭り囃子に鼓舞される八王子神社 神揃場に12時45分着

  高津比盗_社
肌着付けぬ高津比唐フ金棒。09.11.22. 鼓舞する役員の扇子が艶やか。09.11.22. 小雨の中高津比盗_社が神揃場へ。09.11.22.
胸肌見せる金棒 小豆色半纏にあでやか扇子 神揃場に13時00分着

  時平神社
女装の艶やかな衣装。09.11.22. 胴を晒で包む時平神社。09.11.22.
拍子木までも艶やか衣装 神揃場に13時10分着

大和田の大型山車。09.11.22.   資料には萱田町・時平神社と大和田・時平神社は、7年おきに交代で参加する、と記載されている。 調べたら、萱田町・時平神社は神輿で大和田は山車が参加で、大和田には神輿は無い。 ですが舁夫の印半纏は「大」です。成田街道の旧大和田宿は、萱田町と大和田村から成り立っていた。
←写真は祭事に参加の最終飾り付け中の大和田の山車。

  参加する神社と役割(4市9神社)  神揃場発進順  
二宮神社(にのみや) 船橋市三山5-20
菊田神社(きくた) 習志野市津田沼 叔父
八王子神社(はちおうじ) 船橋市古和釜町 末息子
高津比盗_社(たかつひめ) 八千代市高津
時平神社(ときひら) 八千代市萱田町(大和田) 長男
大原大宮神社(おおはらおおみや) 習志野市実籾 叔母
三代王神社(さんだいおう) 千葉市花見川区武石町 産婆
子安神社(こやす) 千葉市花見川区畑町
子守神社(こまもり) 千葉市花見川区幕張町 子守


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