歴史の 浪漫街道  二十年に一度 悠久の時を経て荘厳な時代絵巻が蘇る 風雨のなかで式年銚子大神幸祭
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    式年銚子大神幸祭 平成22年4月 (20年毎)

飯沼観音三差路の仁王門前で乱舞する神輿。'10.04.12.
風雨のなか観音三差路の仁王門前でお囃子にのり神輿揉みで乱舞するする三基の神輿

雷神社猿田彦の大判かわら版。'10.04.12. 銚港神社に鎮座して神事を待つ。'10.04.12.   第54回式年銚子大神幸祭
'10.04.10.(土)行列。11.(日)浜降り。12.(月曜)渡御。
二十年に一度の悠久の時を経てきた荘厳な時代絵巻が蘇る。 古式豊かな行列と芸能は土曜と日曜に18ヶ所の関所で行われ、 三基の連合渡御は4月12日(月)に銚港神社と白幡神社との約1キロの銚子銀座を 12時から14時まで激しい神輿揉みの神輿渡御が執り行われ、白幡神社で三日間の全ての神事を終えるのです。
銚子大神幸祭 風雨の銚港神社で神事待つ三基

堀河天皇の康和4年(1102)、銚子地方の海荒れの際、京都朝廷にも伝わり勅命が下り、 東大社(東庄町)、雷神社(旭市)、豊玉姫神社(香取市) の三社が海神の怒りを鎮めるために、初めて銚子外川浦への神幸祭がこの年に斎行されたことが祭りの起源。 以来9回までは毎年執り行われ、10回目以降より900年間は20年周期で「御神幸」が執り行われてきた。 御神幸祭の三社ともに創建は景行天皇に由緒をもつ共通性を持っている。 このような複数社の神社による式年御神幸祭は全国的にも珍しいのです。  

 銚港神社からの宮出し
豊玉姫(とよたまひめ)神社神輿。
神輿台座は公称5尺
担ぎ手鉢巻は緑色。鳳凰擬宝珠。
香取市貝塚。
豊玉姫神輿の宮出し。'10.04.12. 激しい風雨止む気配はない。'10.04.12.
定刻通り豊玉姫神輿の宮出し 風雨激しく一瞬暗くなる

雷神社の大神輿。'10.04.12. 雷(らい=いかずち)神社神輿。
神輿台座は公称6尺、関東一番の大神輿と表現。 担ぎ手鉢巻は紺色。
白木の担ぎ棒。火焔雷電擬宝珠。
千葉県旭市見広。
雷神社氏子の倉橋地区に伝承の露払い猿田彦命と供奉する芸能が弥勒三番叟。 神幸祭全体の露払役。
宮出しから激しい神輿揉み。'10.04.12.
宮出しはじわりと鳥居を潜り抜け 神社参道広場で激しく神輿揉み

殿の東大社神輿。'10.04.12. 一気呵成に下がり鈴と囃子が鳴り響く。'10.04.12. 東大社(とうだいしゃ)神輿。
神輿台座は公称5尺
担ぎ手はピンク鉢巻。
神輿胴を赤晒で覆う。葱花擬宝珠。
香取郡東庄町宮元。
風雨激しい中の宮出しを殿勤める 下り鈴と囃子が共鳴する神輿揉み

銚港神社。旧郷社・千葉県銚子市馬場町鎮座。
明治2年までは龍蔵権現と呼称。利根川を眼下に見おろす高台に鎮座。 創建年代は応永2年(1395)とも、奈良時代ともいわれ銚子発祥の祖神。 歴代の領主の祈願社として崇敬。銚子の産土様。
龍蔵権現と称していた頃の御神体は円福寺本堂にあるという。 明治2年に現在の社名に変更。明治16年に郷社列格。昭和20年の銚子空襲によって戦災消失したが、 現在の社殿は昭和33年に復興した。社殿正面の書は当時の総理大臣吉田茂が揮毫。
  吉田茂の揮毫掲げる銚港神社。'10.04.12.

  観音仁王門前で乱舞する神輿揉み
飯沼観音前で三基の乱舞が続く。
止む気配ない風雨のなか飯沼観音仁王門前での激しい神輿揉み

行きつ戻りつの神輿揉み。'10.04.12. 押しては戻す神輿揉み。'10.04.12. 激しい風雨にも止めない神輿揉み。'10.04.12.
仁王門前での激しい神輿揉み 観衆も抱き込む神輿揉み あっという間の激しい雨天の変化

鼓舞する囃子にのり風雨吹き飛ばす担ぎ手達の熱気。'10.04.12.
飯沼観音仁王門前でちどり囃子にのり押しつ戻りづを繰り返し乱舞する神輿達

銚子の御神輿の特徴は四方を交互に上下する独特の揉み方と横笛、鐘、釣り太鼓でのお囃子(ちどり囃子)と 担ぎ手の掛け声です。 飯沼観音横の銚港神社からの宮出し後の、お囃子にのり三基が行きつ戻りつを繰り返し、 乱舞する観音前三差路が渡御最大の見所です。  

 白幡神社への連合渡御

雷神社が先導する連合渡御。'10.04.12. 銚子銀座商店街を渡御。'10.04.12. 渡御殿の東大社。'10.04.12.
雷神社が先導し銚子銀座を渡御 安産神らしい豊玉姫神社 紅晒で華やぐ東大社

銚子神輿揉みの披露。'10.04.12. お囃子は担ぎ手を鼓舞する。'10.04.12. 武士役が東大社を先導警護。'10.04.12.
雷神社が銚子神輿揉みを披露 ちどり囃子は奏で続けられる 東大社を先導警護をする武士役

白幡神社。銚子市中央町鎮座
創建年代は不詳。社名伝承として源義経が参詣に訪れた際に白い旗を残していったからという伝説が残っている。 境内社は出雲社・庚申社。 境内の「あ」狛犬は金歯の狛犬として親しまれている。これはいつのころかは定かではないが、 氏子の歯医者が遊び心で金歯にしたと伝えられている。
 

鼓舞し続けるお囃子方。'10.04.12. これでお別れと激しい神輿揉み。'10.04.12.   渡御宮入の白幡神社に到達しても、 海神の怒りを鎮める銚子の神事らしく、宮出しから激しい風雨は終日止むことがない。
風雨に負けじとちどり囃子で鼓舞し続ける 雷神輿はお別れの激しい神輿揉み

20年に一度の式年銚子大神幸祭の最後の神事を執り行うための白幡神社への宮入準備ですが、 鳥居潜れるように雷神社神輿だけは担ぎ棒の取り換えです。   渡御担ぎ棒を取り変える雷神社。'10.04.12. 喧騒の鳥居前を静かに見守る神職たち。'10.04.12.
大神輿ゆえ宮入の担ぎ棒組み換え 白幡神社社殿で宮入を静かに待つ神職

 白幡神社へ宮入

豊玉姫神社。'10.04.12. 東大社。'10.04.12. 最後に参内する雷神社。'10.04.12.
宮入一番手豊玉姫神社 宮入の東大社 殿勤める雷神社

20年に一度の銚子大神幸祭の最後の神事が白幡神社(銚子市中央町8-19)で
歴史誇る荘厳華麗な神事も簡素な境内で執り行われるのです。
 

渡海(とかい)神社。銚子市高神西町・旧郷社。犬吠埼の南端に鎮座。
創祀は和銅二年(709)とも大同年間とも言う古社。東海鎮護と銚子半島の鎮めとして創建。 当初は銚子漁業発祥の地である外川浦日和山に創始貞元元年(979)され、延宝2(1674)に現在地に遷座。 明治6年に郷社列格。当時は高神村の氏神。 当社の杜は極相林として千葉県指定の天然記念物として保護されている。 東大社と豊玉姫神社、雷神社の三社が銚子外川浜に渡御したことから渡海神社と呼ばれ、 現在では20年に一度の神幸祭の渡御前日の宿泊社となっている。
 

雨に煙る円福寺飯沼観音本堂。'10.04.12.   銚子は関東地方の最東端に位置し、北は利根川、東南は太平洋に面した半島である。 円福寺の寺伝によれば弘仁年間(810〜824)に弘法大師を開祖と仰いで開眼した真言宗の名刹。
円福寺はこの銚子市の中心地にあり、古来飯沼観音とも呼ばれ、銚子の市街は観音の門前街として発展した。 飯沼観音隣接の銚港神社は明治2年までは「竜蔵権現」と称し、飯沼観音の鎮守であった。
銚子市の名の由来:利根川の幅広の川幅が河口部でちょっと絞り込まれて狭くなっている銚子口に似ていることから「銚子」と名付けられた。

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