歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。国家安泰願っての妙見宮大祭も今回は東日本復興祈願の銚子妙見宮
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    妙見宮妙福寺大祭 藤祭り 平成23年5月 (毎年)

早期東北復刻祈願の妙見宮の宮神輿渡御。'11.05.08.
大震災祈願の鉢巻つけて激しく神輿揉みを繰り返して渡御する妙見宮神輿

myoken-pop.jpg(7371 byte) myoken-hondo.jpg(8623 byte) 満開の臥龍の藤。'11.05.08.   銚子妙見宮妙福寺
   藤まつり渡御
大震災復興祈願祭
'11.05.08.(日曜)
宮出し13時〜
   宮入16時
毎年5月第一日曜
藤祭のPOP 妙見宮妙福寺本堂 藤棚の臥龍の藤

妙見宮妙福寺の藤まつり渡御は毎年5月第一日曜であるが、 今回は東日本大震災の境内被害復旧工事で一週間ずらしての大震災復興祈願の渡御である。
妙見宮妙福寺は正和3年(1314)に浄行院日祐上人により創建され、 妙見大菩薩(妙見様)は、道を導き開いてくれる開運の守護神の北極星・北斗七星を神格化した神です。 千葉県銚子市妙見町1465。
 

妙見宮拝殿前からの宮出しを行い銚子駅前までの周回渡御です。
台座2尺5寸(76cm)、重量750kgの宮神輿は、浅草菊屋橋の翠雲堂の神仏店での昭和59年製作です。
独特の激しい神輿振りのため、飾棒と屋根、担ぎ棒と蕨手が飾紐で強く縛られている。
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拝殿前宮出し指揮者器用に下り 拝殿前藤棚の参道を表門へ

境内には4つの藤棚があり、内1つは、樹齢約740年を超え、 根元が龍の寝ている姿に似ていることから「臥龍の藤」といわれる大藤棚。 (東西10メートル南北12メートルに紫房、別に白藤等あり)に2メートルに及ぶ花房が垂れ、 「臥龍の藤」「野田藤」と呼ばれる種類のもので、京都御所内に植えられてたこの藤を、 京都から川下りで大阪湾に運び、船便で銚子へ廻航して移植されたものです。  

myoken-hayashi.jpg(10229 byte) myoken-omotemon.jpg(12367 byte) myoken-omotemon2.jpg(12410 byte)
枡形参道を神輿先導する囃子方 宮神輿が枡形石垣表門へ 表門へ出てきた宮神輿

妙見宮等の縁由から、中御門(なかみかど)天皇の時(1709〜1725)以来、 表高十万石の格式に遇せられたお寺。 往時の十万石以上の大名の城は、大手門から本丸へは、 直接進入出来ぬ様に枡形の入口が構築されていた。 お寺でありながら、表門から本堂へ真直ぐ参入できぬ様、 また山門を置かず枡形石垣表門として、寺格を表した名残の表門です。  

myoken-togyo.jpg(11681 byte) myoken-togyo2.jpg(11148 byte) 妙福寺境内社ゆえ僧侶による復興祈願祭。'11.05.08.
銚子独特の激しい神輿振り 担ぎ手いき合せて差し上げ 休息毎に行われる復興祈願祭

担ぎ手を鼓舞し続ける横笛、鐘、釣り太鼓でのお 囃子(ちどり囃子)。 300名の担ぎ手は威勢よく「よおい・よいやせ〜」というかけ声で神輿振りを繰り返す。

前後左右で激しく沈み込む神輿揉み。'11.05.08.
銚子担ぎの腰を落とすハードな神輿揉み 銚子名物「スクワット」のご披露です

myoken-yamasa.jpg(7200 byte) myoken-yamasa2.jpg(9108 byte)   醤油の町銚子。ヤマサ醤油。創業は正保2年(1645)。ヒゲタ醤油は同族(ヤマサ初代の濱口家の兄)。 江戸末期品質の高さ認められ「最上しょうゆ」の称号を与えられた。 右の写真は大正初期建造のレンガ倉で、一辺60m高さ5.5mの正方形の建物。
残念ながら内部は非公開です。
ヤマサ醤油の仕込み大樽 大正時代建造の赤レンガ倉庫

銚子市の名の由来: 利根川の幅広の川幅が河口部で、 ちょっと絞り込まれて狭くなっている銚子口に似ていることから「銚子」と名付けられた。 尚、銚子は関東地方の最東端に位置し、北は利根川、東南は太平洋に面した半島である。  

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