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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿 |
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丸子山王日枝神社 平成22年8月 (毎年15日定日) |
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丸子山王日枝神社の宮神輿が背後に新丸子高層マンション抱えた社務所で差し上げ渡御ご挨拶 |
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例大祭 '10.08.15.(日曜)
宮出し9時〜宮入18時。
宮出しは本殿三周して参道鳥居潜り、境内斜向かいの社務所まで。渡御は各お神酒所で10分休息。
新丸子町会で2時間の休息後、宮入まで長時間の担ぎ。
毎年渡御のため、祭礼役務は9町会で祭礼輪番当番。
神奈川県川崎市中原区上丸子山王町1丁目1555. |
よもぎ色のPOP |
拝殿前に鎮座の宮神輿 |
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平安時代の初め、大同4年(809)に創建、鎮座1200年を迎えた古社。
京都に平安京をつくった第五十代桓武天皇の御子の貞恒親王の次男恵恒僧都と
弟の次郎左衛門尉恒明が滋賀県大津市の日吉大社の御分霊を勧請し、
丸子庄総鎮守(中原区丸子地区の守り神)「丸子山王権現」として創建された。 |
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主役は子供神輿と引き太鼓 |
丸子囃子保存会の募集POP |
神輿担ぎの専用神輿 |
丸子山王の将来を担う氏子子供たちのために、9町会の子供神輿や引き太鼓で祭礼に参加です。
お囃子教室や、練習神輿等の伝統芸能積極参加呼びかけ。 |
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宮司マスクしての御魂遷し |
氏神様へ氏子代表の宣誓 |
浴衣姿の氏子役員も升酒で乾杯 |
丸子山王日枝神社では、
御霊遷しはマスクした宮司が厳粛に行い、
氏子代表も氏神様に不浄喧争をせず終始一貫真剣に奉仕することを誓っている。
真夏の祭礼ゆえなのか、氏子役員のお洒落な浴衣姿は粋です。 |
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土煙上げ本殿三周の宮出し |
参道の鳥居潜りが難関 |
宮出し社務所へ到着 |
渡御は丸子山王神輿会が取り仕切る。宮出しは本殿三周して参道から出る。駒札は付かない。縦棒二本と横棒四本。
渡御は境内の斜向かい社務所からの出立つ、渡御列は神職、巫女、社旗、高張り提灯、丸子鳶連が木遣唄い先導する。 |
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台座三尺で縦棒二本横棒四本がしゃがむ神輿揉み |
担ぎ棒の横棒四本は神輿振りのものか? |
分厚い台座は三尺(93cm)で横棒四本の使途が編集者には理解できていない。
つり太鼓は宮出し宮入のみで渡御中はお囃子山車が勤める。
9町会の子供神輿は神社から町会お神酒所まで。又は途中まで宮神輿に付く。 |
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初代大神輿は天保年間(1830年代)に建造。
昭和25年まで担がれ、多摩川に清め神事で入った。
大神輿は昭和26年(1951)に初代大神輿に代わって製作された二代目で、千葉行徳 後藤直光作。
丸子山王日枝神社御鎮座1200年(2009)にあたり改修工事がなされた。
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初代の天保宮神輿 |
中原鳶の木遣塚 |
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天保神輿は先人達の想いと共に丸子の宝として神輿庫奉安殿で保存されている。
木遣塚。中原鳶(とび)工業組合が奉納した碑です。昔の地形(ちぎょう)(地固め)に使った蛸(たこ)
(真棒)をかたどったものです。鳶職の人たちは昔から神社行事の役割をになってきましたが、
今もその伝統は連綿と受け継がれている。 |
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