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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿 |
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丸子山王日枝神社 平成23年8月 (毎年・15日定日) |
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炎天下の狭い路地中を一杯使い宮神輿が威勢良い掛け声で渡御してくる |
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丸子山王祭 '11.08.15.(月曜) 毎年15日定日
宮出し9時〜 宮入18時。 |
渋いPOP |
テント内の新丸子町会お神酒所 |
神幸祭の先導役は女性たち |
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神幸祭は赤襷隊長の宣誓文の読み上げ後、丸子鳶連の木遣りを合図に発進し、
宮出しは本殿三周して参道鳥居潜り、境内斜向かいの社務所まで。
渡御は各お神酒所で10分休息。
新丸子町会で2時間の休息後、宮入まで九町会を渡御する長時間の担ぎです。
毎年渡御のため、祭礼役務は9町会で祭礼輪番当番制です。
神奈川県川崎市中原区上丸子山王町1丁目1555. |
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丸子山王日枝神社の祭神は大己貴神(おおやまくいのかみ)と大物主神(大国主神)で、
人々には「大黒様」として広く親しまれ、
医薬の神、農業・商工業・漁業の守護神、縁結び・福の神として信仰されている。
神社所蔵の由緒書では、1200年ほど前の平安時代の初め、
日吉大社(山王総本宮=滋賀県大津市)の御分霊を勧請し大同4年(809)に創建と記載。
古い歴史もつ神社です。 |
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丸子通り2丁目お神酒所 |
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狭い路地を天神町会の担ぎ |
路地中左右にブレながらの担ぎ |
横棒で押し合いながらの渡御 |
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狭い路地から中原街道へ顔を出す |
丸子通2丁目町会の余裕の担ぎ |
新丸子商店街で熱気の渡御 |
中原街道: 中世以前から続く古道で、徳川家康によって、
江戸時代の東海道が整備されるまでは東海道の一部としても機能していた。
その後は大名行列の東海道の煩わしさを嫌う庶民や商人が、
脇往還として沿道の農産物等の運搬や旅人の最速ルートとして利用された。
多摩川の昭和10年(1935)の丸子橋開通までは丸子の渡し舟で賑わった。 |
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昭和26年行徳後藤直光建造、台座三尺神輿。
四隅の蕨手には小鳥を付けず、鳳凰には紐が繋がっていて羽を固定している。
小鳥は激しい神輿揉みで落下破損の恐れあるので瓔珞と共に外して渡御をする。
簡単には披露しないが、しゃがみ込む神輿揉みは激しいのです。 |
屋根には鳳凰のみ取り付け渡御 |
お神酒所で披露する小鳥と瓔珞 |
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節電消灯の東急新丸子駅とストア前での激しい神輿揉みで渡御のご挨拶 |
丸子地名の由来: 川の渡船場に従事する守子(もりこ)衆のこと、
また川が丸く湾曲したところや、地形がゆったりと円(まろ)やかな地形をさす。
東京都大田区下丸子、神奈川県川崎市中原区上丸子や中丸子は、
かつては同じ「丸子」だったが、多摩川の流路の変化で二分された。
古い多摩川の湾曲部に因む地名と考えられている。 |
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