歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。平安時代の貞観に始まった京の松尾大社の通称「おいで」の神輿渡御祭
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    京・松尾大社 神幸祭 (おいで) 平成23年4月 (毎年)

鳴閂鳴らして拝殿廻しの三宮社。'11.04.24.
本殿の分霊を受けてホイットーホイット鳴閂がシャンシャントと拝殿三周(拝殿廻し)して渡御につく三宮社

古くは松尾の国祭と称せられており、松尾祭の歴史は古く、貞観年中(859〜877)に始まった。
  「おいで」 神幸祭。   祭には松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の神輿(月読社は唐櫃) が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回廻った(拝殿廻し)後、順次社頭を出発し松尾・桂の里を通って、 桂離宮の東北方から桂川を船で渡り、左岸堤防下で七社勢揃いし、古例の団子神饌を献じた後 四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は川勝寺と郡の末社に至り、そこに三週間駐輦する。  西七条御旅所:下京区西七条南中野町81。
  「おかえり」 還幸祭。   神輿渡御の中心で、氏子中で「おまつり」と言えば、この祭り。
松尾大社 京都市西京区嵐山宮町3。 秦の始皇帝の子孫と称する秦氏同族の総氏神として祀る。
 

脇勧請鳥居。'11.04.24. 菊紋掲げる巡行台車。'11.04.24. 真っ赤な覆い衣。'11.04.24.
榊の小枝を束ねた脇勧請鳥居 古くは松尾の国祭と称せられ菊紋 菊の御紋が入った真っ赤な覆い

鳥居に注連縄があり、それに榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下る。 これは松尾神社独特の脇勧請(わきかんじょう)で、 榊の束数は平年は12本、閏年は13本吊り下げる慣わし。
この形は鳥居の原始形式を示し、太古の昔は参道の両側に二本の木を植えて神を迎え、 柱と柱の間に縄を張り、その年の月数だけの細縄を垂れて、月々の農作物の出来具合を占ったとされる。
菊の御紋が入った真っ赤な覆いを被せるが、宗像社のみは神明造りでなく鳳凰を取り付ける。

ホイットホイットと鳴閂。'11.04.24. 鳴閂。'11.04.24. 誉れの鳴閂担ぎ。'11.04.24.
担ぎ手が鳴閂鳴らして境内へ参集 担ぎ棒に取り付けた鳴閂 誉れの鳴閂の担ぎ手

鳴閂(なりかん)は担ぎ棒の前後左右四箇所に取り付けられている。 鳴閂担ぎ手は前後で8人〜12名で、左右に飛び跳ねるように担ぎ、神輿を上下左右に振るのです。 すると鳴閂がシャンシャン、大鈴がシャシャと鳴り響く。 誉れの担ぎですが、体力的にきつく一回の担ぎ時間はせいぜい2〜3分で、 拝殿廻しや渡御中の要所やお旅所のみで披露される。鳴閂の担ぎ手は肩首に大きな担ぎこぶが出来る。  

  月読社(つきよみしゃ)   松尾大社境外摂社  京都市西京区松室山添町15。
何故か神輿所持せぬ月読社。'11.04.24.   渡御の先頭は神職と月読社(つきよみ)
月読社は正一位勲一等の神階を賜っている格式の高い神社で、 斉衡3年(856)に水害の危険を避けるために、現在地の松尾山麓に遷座とか。
しかし松尾の勢力圏内にあることから松尾大社の境外摂社となる。
神輿は持たず唐櫃(からびつ=脚のついたかぶせ蓋がついた箱のこと)を担ぐ。 松尾大社の御幸祭に際して、当社から御輿に代えて朱衣に飾られた唐櫃が出る。 洪水で神輿が流されて以来、月読社は唐櫃を神体としているのです。 唐櫃は船を意味するか。 月読社 西京区松室山添町15。
毎回先頭勤める月読社

  四之社(しのしゃ)    松尾大社境内末社  氏子地区 七条梅小路 塩小路 御所ノ内
息あった差し上げの四之社。'11.04.24. 拝殿廻し。'11.04.24. 独特の神明屋根と飾紐と大鈴。'11.04.24.
本殿前で出立つの差し上げご挨拶 四之社の拝殿廻し 独特の飾紐と大鈴と朱色絹

拝殿廻しは担ぎ手の晴れ舞台です。社名旗と扇子先導役が神輿を先導する。 重量が約1トンの神輿を二点棒で揃いの白半纏の80名で担ぐ。
桂川河原斉場への出発神輿の先頭は四之社、二番手は郡の衣手社、 三番手は川勝寺の三宮社、四番手は宗像社、五番手は櫟谷社、六番手の殿は大宮社。
 

  衣手社(ころもでしゃ)   京都市右京区西京極東衣手町。  氏子地区 葛野
飾紐独特の衣手社。'11.04.24. 激しい担ぎ。'11.04.24. 必死で担ぎ棒を押す介添役。'11.04.24.
飾紐が独特の衣手社神輿 情熱と気合の鳴閂担ぎ手 介添役が必死で方向修正

  三宮社(さんのみやしゃ)   京都市右京区西京極川勝寺北裏町14。  氏子地区 西京極
三番手の三宮社。'11.04.24. 先導役も扇子に情熱込める。'11.04.24. 根性と情熱の担ぎ。'11.04.24.
負けてなるかと鳴閂担ぎ 三宮社が扇子に先導され拝殿廻し 途切れることない鳴閂鳴らし

  宗像社(むなかたしゃ)   京都市西京区嵐山中尾下町61。  氏子地区 西七条
合羽覆った八角神輿の宗像社。'11.04.24. 介添役が担ぎ手を支える本殿前で差し上げ。'11.04.24. 待機中に撮影していた宗像社。'11.04.24.
小雨で雨合羽覆った八角神輿 本殿前で差し上げご挨拶 飾付け終え順番待ちの八角神輿

松尾祭の神輿は独特の組紐結びに大鈴附け、神明造り屋根に紅色布が覆っている。 宗像社のみは八角神輿で唯一屋根に鳳凰掲げる。
ここから出御の三基の神輿は残念ながら小雨降りだし雨合羽を装着です。
 

鳳凰乗せているため楼門を手舁きで潜る。'11.04.24. 参道で渡御の差し上げ挨拶。'11.04.24. 総指揮者と担ぎ手の息あった台車乗せ。'11.04.24.
楼門を手舁きで潜って出てくる 第二鳥居参道で出立差し上げ挨拶 台車へ神輿下駄を合わせ乗せる

宗像社は楼門を手舁きで潜って行きます。二の鳥居前でも差し上げられます。 楼門、鳥居を出た神輿は参道で台車に載せられ、桂川を目指します。  

  櫟谷社(いちたにしゃ)   京都市西京区嵐山中尾下町61。  氏子地区  下京区西七条 東野町
五番手の櫟谷社。'11.04.24. 鳴閂鳴らしての拝殿廻し。'11.04.24. 差し上げする櫟谷社。'11.04.24.
小雨に負けぬ担ぎ手の熱気 見せ場だと激しく鳴閂鳴らし 本殿前での差し上げご挨拶

櫟谷社は 嵐山弁天社と称し平安時代には葛野に鋳銭所(今の造幣局)があり、 新しい鋳銭は必ず当社に奉納せられたという来福徳財宝の神。

  大宮社(おおみやしゃ)   京都市西京区嵐山宮町。  氏子地区 南区唐橋
殿六番手の大宮社。'11.04.24. 慎重に楼門潜り石段降り出す。'11.04.24. 唯一扇子振る女性先導役が入る大宮社。'11.04.24.
殿の気合の激しい鳴閂鳴らし 楼門を担いで潜り石段を慎重に 賑やかに扇子ふる女性先導役

殿務める大宮社の先導役には役員に混じり、 神輿指揮者のホイットホイットの掛け声に合わせて、扇子振る半纏姿の女性先導役が多く混じる。

  拝殿廻し   拝殿三周して本殿前で差し上げご挨拶して楼門潜り第二鳥居参道で台車に載せて桂川へ
激しく鳴閂鳴らす衣手社。'11.04.24.
拝殿廻しで扇子で担ぎ手を鼓舞する先導役と共鳴して激しく鳴閂鳴らす衣手社

お旅所まで松尾大社の双葉葵の神紋、そして菊の紋章を付けた台車での引き回しの神輿も、 氏子地域では台車から外され肩で舁がれる。
宗像社は屋根の真紅の衣が一枚づつ取られ、衣の色の変化を演出しながら舁かれて行く。
松尾祭では、神輿を担ぐことを舁く[かく]と言います。
  参道で出番待つ菊紋付けた台車。'11.04.24.  
双葉葵の神紋と菊紋付けた台車

松尾大社の奉納樽酒。'06.10.26.   松尾大社は酒造神。  秦氏(はたし)は5世紀ごろ京の西部の桂川流域(松尾大社)と東部の深草の鴨川流域(伏見稲荷) に移住してきた巨大氏族の帰化渡来人。 優れた能力を駆使して養蚕や機織の技術を発達させた。
酒造についても秦氏は酒造りの特技とされ、技能者も多かったことからも京に酒造が根付き、 酒の神の大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀っている松尾大社ゆえ、 室町時代末期以降「日本第一酒造神」と仰がれる。
境内神興庫の前に積まれた奉納樽酒

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