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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 日本各地の神輿 |
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浦安三社祭り例大祭 平成28年6月 (4年毎) |
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豊受神社(猫実) 西組神輿が境川沿いからお神酒所の猫実5の船宿吉野屋へと |
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浦安三社祭り例大祭 '16.06.19.(日曜) 宮出し 午前9時〜宮入 19時 稲荷神社、清瀧神社、豊受神社ともに同時刻
喧嘩神輿、暴れ神輿と言われ、なかなか前に進まなかったために『前だ!』を指している「まいだ〜まえだー!」という独特な掛け声と、
浦安や行徳地域周辺に昔からある独特の担ぎ方の擦り、揉み、差し、放り、の4つから構成される 『地すり』という独自の担ぎ方が浦安三社祭りの大きな特徴になっています。 |
浦安駅前ロータリーの浦安三社祭り看板 |
浦安三社例大祭 |
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浦安は埋め立てで大きくなった街です。その埋め立てる前に元々あった町を元町と呼び、浦安三社祭の中心はこの元町で大々的に行われます。
浦安市の前身である浦安町は猫実村、堀江村、当代島村が合併しできたものです。
地すりは鳳凰が舞い降り、畑を啄み、再び飛び立つまでを表しているといい (他にも堀江地区は海の波を表しているなど諸説あり)
行徳地区と浦安に見られる独特な担ぎ方です。 |
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元禄二年(1689)に武蔵國小岩村(現東京都江戸川区小岩町)の善養寺から移し祀ったものであるといわれ、
屋敷神の稲荷さまを氏神としていた。現在の祭神は穀物豊穣の神の豊受大神です。 浦安市当代島三丁目11。
台座三尺(90cm) 行徳 後藤直光建造 |
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昼休憩の浦安橋付近から悠然と浦安サンホテル前へと稲荷神社(当代島)が女神輿や町会神輿を従えて |
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やなぎ通りに出てきた稲荷神社神輿が「まいだぁ〜まえだ〜」の掛け声で浦安駅前を悠然と横断 |
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稲荷神社宮神輿に続いてやなぎ通りの浦安駅前を賑やかに渡御する稲荷神社の女神輿 |
清瀧(せいりゅう)神社。御祭神に大綿積神(海の神)を祀り、
創建については定かではありませんが、建久四年(1196)の創建と伝えられている。
境内には明治5年にオランダ技師が設置した近代日本の最初の水準測量の標石(河の水位の基準点)が現存する。
浦安三社祭最大の勢力を誇るとも。浦安市堀江4四丁目1。 |
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境川沿いを清瀧神社の八棟屋根の塗り宮神輿が悠然と渡御して来る |
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続いて清瀧神社の八棟屋根の白木宮神輿が境川江川橋を目指す |
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清瀧神社の塗り宮神輿と白木宮神輿が連合で境川江川橋の豊受神社通りへと上っていく |
御祭神に豊受姫大神を祀る神社で、保元二年(1157)の創建といわれ、
豊受神社のご祭神は、明海・入船・海楽・北栄・猫実・日の出美浜地域の氏神様で主に衣食住の神様として知られている。
猫実(ねこざね)とは、鎌倉時代に防波堤に松を植えて松の根を波浪が越さないように願ったことから「根越さね」といわれる。
浦安市猫実三丁目十三番。
東組 塗り神輿 大正14年建造 行徳 浅子周慶建造
西組 白木神輿 大正14年建造 行徳 後藤直光建造 |
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多くのギャラリー見守る境川橋の上で豊受神社(猫実)東組神輿の地すりのご披露です |
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境川橋の上で豊受神社(猫実)東組神輿のの地すり差し上げのご披露で拍手喝采 |
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橋上から巡行路に戻り「まいだ〜まえだ!」の掛け声で地摺すりの疲れも見せずに渡御して行く |
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境川沿いを周りから賑やかに囃し立てられる渡御の豊受神社(猫実) 西組神輿 |
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豊受神社(猫実) 西組神輿が多くの人を連れて船宿吉野屋を目指して進んでいく |
浦安は埋立てで大きくなった町で、元の土地から比べると4倍になった。
浦安市の前身の浦安町は猫実村、堀江村、当代島村が合併しできたもので、
この3つの地域(元町)は地名として今も残り、
大正14年から神輿を担ぐ浦安三社祭りは、
この猫実の豊受神社、堀江の清龍神社、当代島の稲荷神社の各鎮守の合同祭です。 |
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