歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。鶴見潮田神社の例大祭は積極的に東日本早期復興義援金募集活動の祭
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    鶴見 潮田神社 平成23年6月 (毎年)

本宮神輿が潮田銀座商店街への宮出し引渡所へ。'11.06.05.
参道の高張り提灯に先導され鳥居を潜り潮田銀座商店街の宮出し引渡所へ

潮田(うしおだ)神社は景行天皇四十年(西暦110年前後)、日本武尊東夷征伐の航海の途中、 旧西潮田村海岸近くの古杉老松の森に小祠を建て、 国常立尊、豊雲野命、国狭槌命を奉斎し、征途の無事案内を祈願したと伝えられる。
 

町内掲示板の祭礼POP。'11.06.05. 式典終えた静寂の本殿。'11.06.05. 高張り町会提灯が参道に並ぶ。'11.06.05.
掲示板の例大祭POP 朱色に染まる優美な本殿 高張り町会提灯が本宮神輿を迎える

潮田神社例大祭 日時 '11.06.05.(日曜) 宮出し8時 宮入17時
                 横浜市鶴見区潮田町3ー13
大正12年(1923)関東大震災により拝殿倒壊、昭和20年戦災により社殿焼失と被害を被る。 昭和59年現社殿造営 平成元年社務所新築、平成5年鳥居建立、同18年宮神輿再興なる。 旧本社神輿は例大祭期間中は神輿庫で展示される。
 

白木造りの社のごとし本宮神輿。
本宮神輿は浅草宮本卯之助商店が平成18年に建造。 大鳥載せた屋根下の緻密な垂木や桝組、反り上がった階、 重ね台座3尺9寸(119cm)が見事な背高神輿です。
  緻密な本宮神輿。'11.06.05. 上品な重ね台座。'11.06.05.
見事な垂木や桝組 木彫の重ね台座

速やかに肩入れ担出し。'11.06.05. 夜店の屋根を掻き分け宮出し。'11.06.05.   潮田地区は元々半分が漁師町、半分が農家だった地域で、 宮出し神事には祭り好きな人々が多く参列するので、 神職は厄除け、邪な物を瞬時にして祓い清める働きを持っているという珍しい切り火祓いです。
宮出しは本殿前から石畳み参道鳥居と潮田銀座を目指していきます。
本殿前からサッと肩入れて担出し 参道の屋台を押しのけての宮出し

先導役総代が御幣抱え待つ。'11.06.05. 参道から出てきた本宮神輿。'11.06.05. 高張り提灯が先導する。'11.06.05.
先導役総代が御幣掲げ迎える 本宮が参道鳥居から渡御場所へ 高張り提灯が本宮を先導していく

いきなりの差し上げに息合わず。'11.06.05. 態勢整え直しての担ぎ。'11.06.05. 江戸前担ぎで引渡し所目指す。'11.06.05.
渡御差し上げ挨拶の息が合わず 気を入れなおして江戸前担ぎ 潮田銀座商店街から大東町へ

鶴見潮田地区は漁師町ですが、 城南担ぎやドッコイ担ぎでなく、高張り提灯が先導して四天棒で担ぐ江戸前担ぎです。  

潮田神社の氏子衆の一致団結の担ぎが続く。'11.06.05.
祭り好きの潮田氏子衆にはズバリそのままの名の居酒屋前を本宮神輿が渡御

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町会神輿はどっこい担ぎ やはり子供は神輿より駄菓子屋へ 潮田銀座の千鳥破風の清水湯

古くは橘樹郡(たちばな)潮田村(うしおた)といい、丸子ノ庄に属したともいいますが 「小田原衆所領役帳」 {永正17年(1520)から弘治元年(1555)にかけて戦国大名北条氏康が領国内における検地を実施した記録} には「小机の内」とある。 明治22年市町村制施行の際に町田村大字潮田となる。 地名研究では「潮田」とは「海水の入ってくる田」、「海水の来る所」の意味といいます。 町内には町名に由来する潮田神社がある。  

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