材木座の名称は鎌倉時代に鎌倉七座(米座、相物座、博労座、炭座、材木座、絹座、千朶積座)
という商工組合があり、これに由来する。
また和賀江島は当時材木を荷揚げするために貞永元年(1232)に築かれた人工島です。
現存最古の国の史跡の港湾施設で、現在では満潮時にはほぼ全域が海面下に隠れてしまう。
江戸時代には材木座村と内陸側の乱橋(みだればし)村に分かれていたが、のちに合併して大字
「乱橋材木座」となり、これが住居表示に伴い材木座一丁目〜六丁目となった。
乱橋とは元弘3年(1333)に新田義貞の軍勢が鎌倉攻めに入ったとき、
北条幕府軍の防衛戦が崩れはじめたのがこの橋辺りだったことから、
乱橋と呼ばれるようになった。 |
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