歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。ドッコイどっこいと二天棒で担ぎ茅ヶ崎浜降祭にも参加する寒川菅谷神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿

    寒川天の宮 菅谷神社 平成24年7月 (毎年)

高台の神社近くの小道を氏子衆と賑やかに渡御。'12.07.01.
輪宝屋根紋の宮神輿が曲がりくねった小道を町内氏子衆とわいわいと賑やか長閑に渡御

天の宮の極楽色POP。'12.07.01. 発輿式の参列者は道路にも並ぶ。'12.07.01. 神紋の輪宝提灯。'12.07.01.   天の宮 菅谷神社
'12.07.01.(日曜)
発輿祭7時半
宮出し8時〜
  宮入19時
高座郡寒川町
    岡田4-20
茅ヶ崎浜降祭参加
天の宮POP 社殿前での発輿祭 輪宝紋の祭り提灯

創建の年代は詳かではないが天保年間編纂の新編相模風土記に「神明宮当村(岡田村)及小谷・大蔵三村の鎮守とする云々」 とあり、寒川町の最高地に鎮座して天照大御神をお祀りする神明宮(通称天の宮・てんのみや)と称されていた。
明治42年政府令により近隣の神々を合祀して菅谷神社と改称する。
 

花火の合図と同時に担ぐ。'12.07.01. 箪笥金具に合わせ神輿揉み。'12.07.01. 境内を一周しての宮出し。'12.07.01.
花火打上げと同時担ぎ出し 社殿前の対の神木を一周 菅谷神輿愛好会による宮出し

発輿祭が終り打ち上げ花火の合図と同時に菅谷神社神輿愛好会メンバーによる担ぎ出しで、 境内を上品に神輿揉みで一周して神社前通りへと宮出しです。  

担ぎ手の身長で決まる神輿のバランス。'12.07.01. 神社近くの住宅街を渡御。'12.07.01. 傾き直さぬままの渡御続く。'12.07.01.
二天棒担ぎのバランス難しい 岡田住宅街へ入り込む 気になる傾いたままでの渡御

今回は岡田廻り(南廻り)からの渡御。昨年度23年は小谷大蔵廻りからの渡御(北廻り)。交互に渡御順路を替えるとか。
菅谷神社氏子衆の長老たちは神社を社頭、接待所を行在所と表現している。
 

低地の県道を小神輿と連なって横断。'12.07.01.
折り返し地点の寒川小学校を目指し小神輿と共に高台から降りて悠然と県道を横断してくる

休息所のセントラルボウルへ。'12.07.01. 横浜銀行休息所を目指す。'12.07.01.
寒川北口一番街のボーリング場前で休息へ 寒川駅を一周して横浜銀行接待所へ向う

「どっこい、どっこい」、「どっこい、そ〜りゃ〜」、「よ〜い、よいと」・・・。
現在の神幸祭と浜降祭の渡御は昭和53年の建造神輿(復活天保神輿)で 鳳凰を頂く宝形の装飾性に富んだ江戸時代の天保神輿は、 昭和54年寒川町重要文化財に指定された。
  特徴の甲羅黒屋根の天保神輿。'12.07.01. 赤い細桶型提灯付ける天保神輿。'12.07.01.
天保神輿の亀甲羅形の黒屋根 大鈴と紙垂付けが湘南の特徴

酔狂さんからのご指摘でコメントを以下のように追記しました。  感謝します。('12.07.10.修正)
1)天保神輿は傷みがひどく、昭和53年(1978)に宮神輿を建造して、平成9年(1997)まで担がれた。
2)平成10年(1998)には菅谷神社の合祀90年記念事業として、天保神輿の修復工事が実施された。
3)平成10年以降の神幸祭と浜降祭の渡御は復活した天保神輿が担がれている。(宮神輿は未確認)

湘南神輿の特徴は屋蓋は吹き返しなく独特の亀甲羅屋根です。 胴の四隅に、軒下から神社名等の描かれた大きな桶型提灯が吊るされ、 箪笥台座で側面に二個ずつの環(把手)がついている。 二天棒で担ぎ手は担ぎ棒の内側に入り、反対の棒に手を突っ張って担ぎます。 箪笥金具の音頭とりで「どっこい、どっこい」、「どっこい、そ〜りゃ〜」 そして神輿独自の甚句が響く。 棒には綱が付けられ、これを引っ張って舵取りをします。
白い晒を大鳥の胴から蕨手へ、そして担ぎ棒へ張り(捩り・もじり)大鈴を付ける。 紙垂は胴に付け、瓔珞、風鐸は付けない。
 

寒川とは関八州の厄除けの守護神として鎮座する、相模国一宮の寒川神社に由来する地名。 「和名抄」(平安中期の承平4年(934)ごろの漢和辞書)に高座郡寒川郷の名が見え、「佐牟河波」と訓じている。 一説には、高句麗系渡来人入植の地で、古代朝鮮語の「サガ=sagam(私の家・社)」 →「寒河」 →「寒川(さむかわ)」 と転じた説があるという。  


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