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	 |   |  | 伝承と伝統の民族文化遺産 |  |  
 
 
	
		
			|  | 祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿 |  |  
 
 
	
		
			|  |  |  | 幸手市 幸宮神社 八坂祭り 平成23年7月 (毎年) |  
 
	
		
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			| 祭り囃子も夜店もなく春日部夏祭りとの同日開催のためかギャラリもいない氏子衆だけでの宮出し |  
 
	
		
			|  |  |  |  | 幸手神社八坂祭 宮神輿の渡御
 '11.07.10.(日曜)
 八坂の夏祭り
 山車曳き回し
 '11.07.17.(日曜)
 幸手市中4ー11
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			| 幸手夏祭りPOP | 幸手神社拝殿 | 祭り主役の境内社の八坂神社 |  |  |  
 
	
		
			| 毎年第二の日曜に幸宮(さちのみや)神社の境内社の八坂神社の祭りで14時から宮出し。
			宮神輿は明治18年再建され馬を使わずに直置きです。
			渡御は北町幸手中学校東側のお仮屋で15時から幸手駅前へと練り歩く。 第三の日曜日の夕方には、300年近い歴史と伝統を誇り、幸手の夏を熱気で包みこむのが八坂の夏祭り。
			「花山」(=山車7台の曳き廻し)が行われ、幸手駅前で山車が坂を駆け上がる勇敢な姿に興奮は最高潮になるとか。
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			| 幸手神社の創建は不明だが、元禄八刻年御検地写帳に元禄12年(1699)己卯三月吉日と記載ある。
			本殿は文久3年(1863)に再建。正面扉の両脇に昇り竜、下り竜が刻まれ、
			本殿の周りには獅子・鳳凰・天邪鬼・鷹・松などが彫刻されている。
			田起こしから収穫までの稲作の様子を描いた四季農耕の彫刻が見事です。
			公開されておらず塀越しに観る。 |  |  |  
 
	
		
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			| 八坂神社前で厳粛な神事 | じか置きの神輿へ御魂遷し | 順次清め盃うけイザ宮出しへ |  
 
	
		
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			| 拝殿前での神輿揉み | いざ宮出し渡御のため西門へ | 若衆には負けぬと役員華棒担ぐ |  
 
	
		
			| 今年の年番当番町は東町(あずま)で当番町お仮屋に神輿が鎮座し祭りを見守る。 氏子七地区は、天神町、助町、久喜町、仲町、東町、荒宿、北町。
			幸手中央通りの古い商家が立ち並ぶ商店街を南下して駅前までの渡御です。
 台座は4尺1寸(123cm)、四方扉、彫金が精微で、担ぎ棒上に載せ背高に見せる。
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			| 北町お仮屋前からの幸手駅前へ渡御です | 源義経山車人形に先導されての渡御 |  
 
	
		|  |  | 祭り実行委員会本部はりそな銀行内の駐車場。
			御仮屋には神功皇后
			(じんぐう=応神天皇の母で聖母とも呼ばれるが、妊娠したまま海を渡って朝鮮半島に出兵して新羅の国攻める)が立つ。
			幸手神社の宮神輿渡御は春日部の夏まつりと同時刻の渡御で、ギャラリーはほとんどいない。 |  |  
 
	
		
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			| 炎天下の幸手中央通りを町会若衆による気迫の渡御 |  
 
	
		
			| 幸手の由来: 風土記稿に「幸手宿は、田宮庄と唱へ、古は田宮町と号す。 すでに正保二年(1645)
			改定の国図等田宮町と記し薩手とも云と傍記す」とある。 幸手の地名は、
			アイヌ語の乾いた原野を表すというが詳しくはわからない。古くは仲町・荒宿・右馬之助町・久喜町・牛村を合わせて「田宮の町」と呼び、
			幸手と通称していたが、江戸初期の東照宮造営に伴う日光街道の整備により、宿場としてにぎわいを増し、
			幸手宿と公称されたものである。
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