歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。越谷東口お仮舎で一泊した宮神輿が越ケ谷まつり会場を渡御して還御
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    久伊豆神社 (越ケ谷秋まつり) 平成24年10月 (3年毎)

越谷駅東口の御仮舎神事。'12.10.07.
越谷駅東口の御仮舎で久伊豆神社の宮神輿の還御神事が厳かに執りお行われる

秋祭りPOP。'12.10.07. 裃袴に菖蒲笠の後ろ姿。'12.10.07.   久伊豆(ひさいず)神社例大祭
 '12.10.07.(日曜) 神輿還御
 お仮屋出発14:50〜宮入17:30

 '12.10.06(土曜) 神輿渡御
 宮出し午前11:10〜お仮屋14:30。
埼玉県越谷市越ヶ谷1700
越ケ谷秋まつり 越谷東口お仮舎での神事

久伊豆神社は社格こそ「郷社」ですが、武蔵野国越ヶ谷郷総鎮守として鎮座1,200余年の歴史ある神社であり、 徳川将軍家が鷹狩りで越ヶ谷御殿にお成りの際に参詣をされていたとのことで、かつては、 徳川秀忠公所用の三つ葉葵の定紋入りの御膳を所蔵していたと云われます(惜しくも戦災で消失)。
当社は徳川将軍家が信奉していたため、通常使用を許されない立ち葵紋が神社の定紋になっています。 神社の正式な年中行事・神事としての例祭は、毎年9月28日を期日と定め、神職により社殿において厳かに執り行われている。
 

金棒持った年番の若衆。'12.10.07. 華やぐ稚児たち。'12.10.07. 正装裃袴の旦那衆。'12.10.07.
年番の若集が先導する祭礼隊列 雅楽の後に華やかなお稚児さん 稚児の後を正装裃袴姿の旦那衆

祭礼隊列は、概ね300〜400名ほどの神幸行列で、普段は公開していない数百年の年代物の四神獣の造形物や神社旗、 古式豊かな神器を担いだ氏子、お稚児さん、裃袴(かみしもはかま)姿に威儀を正した旦那衆と続き、 鳳輦に乗った神輿、神職と続き、氏子総出で神様をお守りしながら厳かに進みます。
その後を青年会を中心に各町内(八ヶ町)の氏子が、揃いの半纏、着流し姿で、自慢の山車に人形を乗せ、 お囃子を奏で木遣唄を歌い、山車を曳き廻す。
 

ツインブリッジ潜り祭り会場へ。'12.10.07. 宮本町が白丁装束で担ぐ。'12.10.07.
お仮屋から新装のブリッジを潜り祭り会場へ 宮本町の白丁姿の氏子が宮神輿を担ぐ

鳳輦の担ぎ手は、四丁野(現在の宮本町)の生え抜きの家の惣領に限るとされています。 江戸時代には四丁野村の迎攝院(こうしょういん)は将軍から五石御朱印寺領を与えられており、 住職が久伊豆神社の別当職を兼務していたことから、 四丁野の氏子(=迎攝院の檀家)に与えられた特別待遇とされています。  

白丁に烏帽子の装束で担ぐ。'12.10.07.
白丁姿の氏子に悠然と担がれて越谷東口から越谷二丁目交差点を目指す

平屋台造りのかなり古い時代の様式の神輿で、担ぎ棒が二天棒の神輿です。 久伊豆神社の御祭神は大変慈悲深く争いを好まない大国主命ですので、 鳳輦は揉むことなく厳かに慎み、粛々と進むものとされています。  

夜店掻き分ける様に渡御。'12.10.07. 久伊豆神社の宮神輿は揉まない。'12.10.07.
越谷二丁目から旧日光街道を渡御 白丁に担がれて悠然と渡御してくる

今回の年番は弥生町でお仮屋は越谷駅前。 久伊豆神社例大祭は旧越ヶ谷町の山車祭りで、江戸時代中期の元禄時代から伝わる、五穀豊穰を祝う祭りです。  

年番の若集が先導する祭礼行列。'12.10.07.   越ケ谷まつりの山車祭りは久伊豆神社の例大祭としての、神社の正式な年中行事ではなく、氏子主催・主導による氏子の行事です。
つまりは氏子が主役のイベントなのです。 氏子は、神社の正式な年中行事・神事ごとの例祭を 「陰祭り」と呼び、氏子主催・主導の山車祭りを「本祭り」と呼んでいる。
山車曳き回しは午前10〜12:30. 午後14:50〜17:30 夜19時〜21時で「バカ祭り」とも称される。今回は5年ぶりの開催です。

山車祭り江戸時代中期の元禄時代から伝わる伝統あるまつりで、 旧越ヶ谷の日光街道沿いの表町八ヶ町(本町1〜3丁目・中町・新石1〜3丁目・弥生町)から各1台、 合計8台の山車の曳廻しが行われます。  

越谷山車は三輪。'12.10.07. 難しい前輪持ち上げ方向転換。'12.10.07.
特徴の越谷山車の前輪 前輪を鳶が数人で持ち上げて方向転換

越ヶ谷の山車の特徴は、車輪が3輪で取り回しが難しく、運行には職方(鳶)が重要な役割を果たします。 旋回をする時は4〜6人の職方が1輪の前輪を持ち上げながら気合を入れて勢いよく一気に回します。
各山車の最上段には、上下可動式で人形が据え付けられています。
 

鐘馗。'12.10.07. 武蔵坊弁慶。'12.10.07.
新石一丁目 神武天皇 新石二丁目 鐘馗(しょうき) 新石三丁目 武蔵坊弁慶

鐘馗(しょうき)とは中国の神で、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。 また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。  

面つけた龍神。'12.10.07. 楠木正成。'12.10.07. 素戔鳴尊。'12.10.07.
本町一丁目 面つけた龍神 本町二丁目 楠木正成 本町三丁目 素戔鳴尊

日本武尊。'12.10.07. 鐘馗。'12.10.07. 越谷2丁目の居囃子。'12.10.07.
弥生町 日本武尊 仲町 鐘馗(しょうき) 越谷2丁目の居囃子

山車の人形は岩槻に大田道灌が城を築城する前は越谷には大勢の人形師がいたが、 城が出来たことで人形師が岩槻に行ってしまい、お雛様は岩槻が有名に成ってしまいましたが、 人形師がいた名残が越谷の人形の山車なのだとか。  

越ケ谷地名の由来: 「越ヶ谷」は「越(腰)の谷」の意で「こし」は「山地や丘陵地の麓付近」の意、 「谷」は「低地」の意であると思われる。 つまり「大宮台地の麓にある低地」を指す地名であると推測される。
「越谷」の地名は、昭和29年(1954)、合併により越谷町が成立した際に、 合併前の越ヶ谷町と区別するために「ヶ」を取って「越谷町」としたことに由来する。 旧越ヶ谷町にあたる越谷市の中央部の地名は、現在「越谷市越ヶ谷」である。
 

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