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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿 |
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平塚三嶋神社 (須賀まつり) 平成23年7月 (毎年) |
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昭和50年建造の台座四尺二寸の特大神輿を参道鳥居下までの担出し |
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見栄えするPOP |
拝殿前に二基の宮神輿が鎮座 |
御魂遷しで静けさ戻る拝殿内部 |
平安時代(794年〜)の初め、当地は「須賀のから浜」と呼ばれ、当神社の別当寺であった長楽寺の古文書の文献に
「薬師・三島明神の本地仏なり 長一尺五寸 弘法の作と伝」と記されていることから、
すでにその時代には信仰を集めていた。
江戸時代半ば(1670年〜)には須賀千軒といわれるほど人家が増え、相模国の海運・海路の玄関口として栄え、
三嶋神社は「みょうじんさん」と呼ばれて、須賀の鎮守として篤く信仰されてきた。
特に例大祭は「須賀のまつり」とうたわれ盛大に執り行われてきた。 |
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例大祭 「須賀のまつり」では2日間に渡り執り行われる。
本祭り '11.07.17.(日曜)
宮出し8時50分。宮入20時。
須賀港や平塚海岸方面の氏子地区を渡御する。
15時より濱降祭。 宮入パレードは17時須賀港から。
宵宮 (前日の土曜)は宮出し15時。宮入19時。
平塚駅南口方面の氏子地区を渡御する。
神奈川県平塚市夕陽ヶ丘60-27。 |
宮出し神事のため参道に鎮座する |
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特大神輿に白幕張り御魂遷しの儀 |
吊り太鼓と宮司が宮神輿を先導 |
狛犬に見送られ参道宮出し |
平塚三嶋神社の神輿も「相州神輿」や「湘南神輿」と呼ばれ、
2本の棒だけで神輿を支えて台座の両側に箪笥金具を取り付け、
その金具でリズムをとり、「ドッコイどっこい!」と独特の掛け声で担ぐ。 |
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左右に揺れながらも参道を進む特大神輿 |
特大神輿の後を離れず続いてくる大神輿 |
特大神輿は昭和50年建造。屋根は梨地色で台座は四尺二寸(1.26cm)
で胴の部分は龍や獅子の彫刻が金箔に包まれている金粉大神輿です。
背後の参道脇に立つ2本の大幟は昭和25年に奉納されたものです。 |
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大神輿が南参道鳥居から渡御 |
二天棒の内側に入り込みの担ぎ |
ドッコイどっこいは途切れない |
大神輿は昭和25年建造の漆塗り黒屋根の台座三尺九寸(1.18cm)の神輿で、
胴の部分に干支など色とりどりの彫刻が施されている。と神職は説明されるも、
残念ながら湘南神輿独特の胴を巻く金網が邪魔をして確認できない。 |
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特大神輿や大神輿が須賀港や平塚海岸方面へと祭礼隊列を組んで渡御していく。
六氏子町内の神輿が、それぞれの地域を練り歩いて、宮神輿を含め8基の神輿が集まって、
平塚海岸で浜降祭が執り行われる。
神輿がどっぷりと海に入り禊ぎを行うのです。
その後、須賀祭りの宮入パレードが行われる。 |
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白丁は太鼓叩くが特大神輿は静かに台車曳き回し |
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台車に乗った特大神輿が大神輿の前に出て先導役になろうと追い越し |
平塚地名の由来:
平塚の地名は「吾妻鑑」に建久3年(1192)源頼朝の妻の北条政子の安産祈祷を行わせた社寺として
「範隆寺 平塚」とあること、源頼朝が神馬を奉納した神社として「黒部宮 平塚」
とあることが文献上の初見です。
「スカ」とは海に沿った高地、砂丘、砂地などの意味があるといい、
平塚も須賀も砂丘上に形成された集落であることから、地名の由来としては納得はされてはるが。 |
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