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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿 |
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姉埼神社夏季例大祭 平成23年7月 (毎年) |
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宮山台の姉埼神社から垣根を掠めるようにして二番手で下りてくる御本社の宮本 |
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姉埼神社例大祭 7月23日(土曜)
○宮出し12:00 (三社の神幸祭) ○15時〜宮入20:00 (地区別渡御)
千葉県 市原市姉崎2270 |
姉埼神社POP |
宮山台の前に悠然と立つ鳥居 |
茅の輪と独特の注連縄下げる社殿 |
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姉埼神社。 日本武尊が東征の折、走水の海で暴風雨に遭い、妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)
がその身を海中に投じた事によって、無事上総国へ着くことができた。
この弟橘姫を偲び、風の神(志那斗辨命)を祀ったのが起源であり、後に、景行天皇が日本武尊を祀る。
神社は元慶元年(877) 正五位上に叙される。
「宮山台」と言う高台(海抜50m)にあり鬱蒼たる老杉に覆われている。
本殿は昭和61年に火災にあい、その後再建されている。 |
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神事に使われていた三頭の獅子頭 |
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神輿にささげる御神酒を神輿に載せて神事に臨む。
大鳥もちろんだが、四隅の小鳥にも稲穂を銜え、屋根の前後には独特の飾紐が飾られる。
担ぎ棒が井桁に組まれて神輿の胴を下げ、瓔珞を付け、五七の桐の社旗と剣が先導する渡御です。 |
境内拝殿横での神事が続くがすでに終えた若宮社が宮出し |
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「若宮社の下町」
一番手は若宮社の駒札下町の台座は3尺6寸(109cm)。
昔は紙に包み神輿の屋根に投げ入れていたが、今は賽銭竹籠に投げ入れ御払いを受ける。 |
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竹籠ぶら下げる重要な賽銭役 |
神門と鳥居を潜る宮出し |
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「御本社の宮本」
悠然と出ていく御本社の駒札宮本の台座は3尺9寸(118cm)。
三基のなかで台座が一番大きい神輿です。 |
器用に神門と鳥居を潜る |
鳥居下から一気に肩入れての宮出し |
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「八王子社の上町」
八王子社の駒札上町は台座3尺6寸(109cm)です。
殿を勤める上町の神輿は元気な子供神輿と同時の宮出しです。
山車曳きや子供神輿や明神囃子の子供たちはみな狐化粧です。 |
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上町は子供神輿と同時宮出し |
殿に拍子木や笛が囃し立てる |
宮出しは若宮社(駒札下町)→御本社(駒札宮本)→八王子社(駒札上町)の順で順次出発する。
神輿はともに江戸時代の建造と思われる。
境内は小高い丘の上、北鳥居の石段参道と神門のなだらかな南参道があるが、
広い境内の社殿横から神門と鳥居を潜り南参道を下りていく。
宮出しはこの樹木と笹竹生い茂るくねった参道から出ていくのです。
宮入は提灯を神輿に付けて幻想的に宮入するとか。 |
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お神酒所前での下町の神輿揉み差し上げご挨拶 |
奉納者宅前での宮本の御礼差し上げ |
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姉埼神社(明神様=境内によろずの神を祀る)は明神山の宮山台にあり、
祭り囃子は明神囃子で、宮本お囃子の子供たちは狐の白粉を鼻に塗る。
上町の子供神輿の担ぎ手も狐化粧です。
次世代の祭り引き受け世代が育っています。 |
明神囃子を奏でる子供囃子方 |
子たちは皆が明神の狐化粧です |
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宮本の神酒所での神輿揉み |
神輿下げて一気に差し上げる上町 |
小太鼓を鳴らし神酒所の神事 |
姉埼神社の祭神の志那斗辨命(しなとべのみこと)は女神で、
夫神は嶋穴神社の志那都比古命と言われる。
ある時、狩猟に出掛けた夫神はなかなか戻らなかった。いつ帰るとも知れぬ夫神を待ちわび、待ちこがれ、
「待つは憂きものなり」と歎かれた。
「待つ」は音が「松」に通ずる所から、この郷に於いては古来「松を嫌う」と云われている。
境内には一本の松も無く、また、氏子は新年に門口には竹と榊を組合せた飾り(門松ではない)を立てる。 |
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なだらかな宮山台の南参道からの殿の八王子社の駒札上町の悠然と余裕の下山 |
市原市姉崎の由来
神奈川県・大磯より東京湾を渡り 千葉・木更津方面に軍船を進め、沖へ出て突然の強風に出会い、
日本武尊の重責を察し「自ら海に入り
入水した弟橘姫(おとたちばなひめ)の「なきがら」は千葉市寄りの「地」にたどり着き、
袖は袖ヶ浜にたどり着いた。
それは日本武尊一行よりも到着が先であった。
このために 弟橘姫が、たどり着いた「地」を「姉ヶ崎」と名付けられたと云う。
この時「ヤマトタケ33歳、弟橘姫39歳」で姉さん女房であったために、
この地を「姉が先」→「姉ヶ崎」と呼ぶ様になった云う・・・。
由緒ある姉崎町もいまは無く市原市に合併されている。 |
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