|
|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿 |
|
|
|
|
鶴見神社 天王祭 平成23年7月 (毎年) |
|
鶴見神社参道から駅東口通りへ出てきた台座4尺一寸五分の美形の宮神輿 |
|
|
|
鶴見神社 天王祭。 日時 '11.07.24.(日曜)
神事は10時15分〜 宮出し10時半〜
宮出しは境内参道から駅東口入口まで
今年渡御の西側鶴見氏子地区へトラック移送
鶴見駅東口からの宮入16時〜18時半。
横浜市鶴見区鶴見中央1-14-1。
|
宮神輿POP |
鶴見神社の簡素な社殿前に鎮座 |
|
|
鶴見神社の創建は、推古天皇の時代(7世紀初め)と伝えられる。
古くは杉山大明神(杉山神社)と称された。大正9年(1920)に、社名を鶴見神社と改めた。
杉山大明神と天王宮の二社相殿で、杉山大明神は五十猛命を祀る (神事は田祭り)。
天王宮は素盞嗚尊を祀る (神事は天王祭)。 |
|
相殿の天王宮に伝わる「鶴見神社大神輿」は、横浜最古の神輿と言われている。
この神輿は、約350年前に鶴見川の天王河原(現・潮見橋付近)に流れ着いたものと伝えられる。
当時、少し上流にあった鎮守天王社(現在は川崎市幸区小倉の小倉神社)の祭礼のとき、鶴見川で神輿を洗った際に、
誤って流してしまったものとされる。 |
|
|
|
|
|
前方の鎌と後ろ胴の巴紋が光る |
胴の彫金が重厚です |
この神輿を岸へ手繰り寄せて揚げたのがカマ。そこで今でも鎌を神輿に取り付けて掲げる。
平成4年に全面改修しているが、胴は前左右は彫金の重厚なもので後は巴紋である。
果たして江戸時代の神輿かと疑いたくなるほど美形です。
延軒屋根で平屋台造りの神輿の台座は4尺一寸五分(126cm)です。 |
|
|
|
|
社殿前での厳かな神事 |
境内社殿前での神輿揉み |
差し上げで宮出しご挨拶 |
担ぎの装束は全員白半纏で、担ぎの応援多く担ぎの掛け声は「ホイッサーホイッサ」との指示と練習です。
ウム・半纏の印は何処かのマークにそっくりですが。 |
|
|
|
|
鳥居から参道へ宮出し |
参道では手古舞が先導 |
広い駅東口通りでの担ぎ |
天王祭には古式ゆかしく毎年西側鶴見氏子地区と東側豊岡氏子地区の5町会を交互に渡御する。
今回は西側鶴見氏子地区。 |
|
|
|
鶴見東口駅前通りを悠然と渡御 |
車道で移送トラックに搭載 |
境内で揉み参道から宮出し後、バス道路を担出し、鶴見駅東口入口まで来ると、トラックに搭載移送です。
担ぎ手達は回送バスで西地区の神酒所へ。 |
|
|
|
|
トラックから神輿の引受け |
鶴見1・2丁目渡御のご挨拶 |
お神酒所ご接待の木が入る |
鶴見神社からは鶴見駅西口を過ぎて曹洞宗大本山総持寺を過ぎ、鶴見花月園
その前の鶴見1・2丁目町内会、その御神酒所が鶴見神社から遠く、路線バスが便利です。
(花月園は大正3年・1914年開園の遊園地で、花月園少女歌劇団を結成し西の宝塚・
東の花月園とまで評されたが、戦後は花月園競輪場となる) |
|
|
担いですぐに鶴見1・2丁目お神酒所で休息なので余裕の神輿揉み |
鶴見地名の由来。
鶴見川流域にも朝鮮半島からの移住があったとみられる。
「鶴見」という地名の由来の一つに、窪地・水たまりが多く、
鶴が多く生息していた土地であるから、朝鮮語で鶴を意味する「チュルミー」からきているという説がある。
また「鶴見」の地名は鶴見川によって生まれたが、
ツルという意味は川が海に入るために流れがヨドム状態を現わしていると思われる。
流れのゆるやかな地域にのみ人家が集まり、これによって部落が形成され地名が付いたのでしょう。 |
|
|