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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿 |
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検見川神社 平成23年8月 (毎年・3日定日) |
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検見川神社神輿の独特の神輿揉みは切り揉みから一気に上げる揉み上げと決めた差し |
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京成踏切前の表参道鳥居 |
拝殿に例祭出御挨拶の宮司 |
さすが下総神祗三社の本殿 |
検見川神社例祭神幸祭 日時'11.08.03.(水曜) 毎年定日。
1日目 宮出し18〜21時。御仮殿まで渡御。
3日目 御仮殿から15時より渡御してお旅所で休息後の宮入は21時。
千葉市花見川区検見川町1。 表参道は京成千葉線検見川駅前。 |
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御宇貞観11年(869年)全国に流行した疫病を鎮めるため、
下総国(現在の千葉県)で素盞嗚尊が祀られ、災厄消除を祈った場(嵯峨という地名を表示)に創建される。
旧社名は八坂神社。
素盞嗚尊(すさのおのみこと)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)伊弉冉尊(いざなみのみこと)
三柱の神を総称して神祇三社検見川大明神と称される。 |
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仮殿の千葉信金花園支店(検見川2丁目)ここで出御祭も行われる。
延軒屋根の台座4尺(123cm)神輿には「慶應4年(1868)高井勘右ェ門 寄贈」の銘があったのだが、
補修時に上塗りされてしまい、今は見る事ができない。残念ですね。 |
御仮殿前に鎮座する宮神輿 |
小太鼓鳴らし御幣かざしにじり寄る |
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例祭の1日目は1丁目(検見川神社の直下)でのみ担がれて御仮殿へ、2日目は御仮殿の神輿駐機したまま動きなく、
3日目は年番町を中心に15時に御仮殿から渡御が行われ、表参道急石段40段登りの宮入が最も盛り上がる。 |
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平日の御仮殿前からの担出し |
神輿音頭取りの合図で切り揉み |
揉み上げと踏ん張って決めた差し |
検見川神社の神輿揉みは、担ぎ棒が井桁に組まれた神輿を「ワッショイ!ワッショイ!」で肩に担ぎ(肩入れ)、
音頭取りのかけ声と共に、神輿を地面スレスレまで一気に落とす(切りもみ)、そして「ソライヤー!」のかけ声で、
また一気に腕を延ばして頭上に神輿を押し上げ(もみ上げ)、
それを今度は両側から腕を延ばしたまま押し合う(差し)という4段階の所作です。
前後左右合計8本の担ぎ棒に、それぞれ4人の輿夫(よふ=担ぎ手)が担ぐ。神輿担ぎ手の正式な装束は白丁。 |
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祭礼列を先導する四神鉾と天狗 |
並ぶ夜店掻き分けての渡御 |
休息無しの炎天下の担ぎは続く |
神社からの渡御路には青竹が全ての電柱に括られ、軒下には祭り提灯が飾られて、
搭載された「祭鉾」と「四神鉾」が宮神輿を先導する町会車輛は5丁目、3丁目、2丁目、1丁目の順で、
天狗の露払い、御幣、神職。宮神輿、神輿見守る朱傘の宮司、女神輿が続き、
最後尾に神楽囃子連の山車が渡御列をつくる。 |
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女神輿も負けてはいません |
音頭取り含め全員女性の差しです |
賑やかなお囃子にのって子供踊り |
今年の年番町会は2丁目。要所要所での揉み上げ。検見川陸橋すぎたお旅所でやっとの休息を取り、
折り返し御仮殿までの往復渡御、夕刻から石段登りの宮入。 |
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検見川神社独特の神輿揉みの地表すれすれの切り揉み 屋根には投げ賽銭が増えていく |
例祭にあわせ8月1日から3日、夏を彩る風物詩として境内において「ほおづき市」を開催。 |
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夏の風物詩ほおずき市の由来は、源頼朝が奥州征伐の帰り、
浅草で軍勢を休ませて兵士にホオズキの実を食べさせて元気づけたという言い伝えがある。
解熱や腹痛の薬として利用されてきたセンナリホオズキが売られていたのが、
色の赤くてきれいなホオズキにかわる。
「ほおずき市」の元々の市は、雷除(よ)けの赤とうもろこしであったが、
江戸時代の明和期以降、愛宕神社の「愛宕地蔵」で4万6千日に当たる功徳日の6/24の市で鬼灯に人気が出て、
それならと浅草寺の「浅草観音」でも7/10の功徳日に扱い始め全国に広まった。 |
拝殿両脇に並ぶホオズキ |
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検見川地名の由来。
歴史のある地名で葛飾の原、花輪の台、気見川(けみがわ)、華見川(けみがわ)と変化し、検見川になったという。
因みに検見(毛見)とは、神稲の出来具合の検分、転じて準備の点検。
平安時代の蜻蛉日記に、「大嘗会の検見(毛見)」の記述がある。
永正6(1509)奥州白河の関に遊んだ宗良法印の「東路の土産」
という紀行文の一節に「千葉村をたちて、気見川という所に浦風余りに烈しいければ・・・」とある。 |
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