歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。つや消しの梨子地に神紋の八咫鏡を神輿の屋根に掲げる本千葉寒川神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    本千葉寒川神社 平成23年8月 (毎年・20日定日)

宮神輿を先棒で担げる嬉しさなのか笑顔。'11.08.20.
年番渡御の道祖神社から担出し 若衆は神輿先棒を担げる喜びの笑顔が

迫力伝わるPOP。'11.08.20. 八咫鏡裏の印半纏。'11.08.20. 宮出し終えて年番区へ巡行してくる。'11.08.20.   本千葉寒川神社
日時'11.08.20.
宮出し8時10分
年番区渡御
  13時10分〜
  御浜下り18時
  宮入21時
寒川神社POP 八咫鏡印の紐ついた裏側(裏方) 神社から車輛で巡行してくる

創建の年代は明らかでないが、現存する最も古い史料としては、 御神宝の獅子頭に文明十三年(1481)に社殿と獅子頭を修復した旨の銘があるので、 創建はこれ以前であると考えられる。 延喜年間(905)年頃に編纂された延喜式神名帳には、下総國千葉郡に「寒川神社」の記載があるので、 これが該社であるとすれば、創建年代はさらに遡ることになる。   千葉市中央区寒川町1-123。  

年番渡御発御式。
寒川神社で発御祭が執り行われ、境内から国道までの宮出し後、車両搭載されて年番町会へ移送です。
今年の年番町会(新宿、新田町)は新田の道祖神社からの渡御で、 魔除け太鼓を打ち鳴らし町内を渡御して、他の町会は車輛巡行です。
  年番発御の道祖神社前。'11.08.20. 千葉周辺の神職の所作は同じ。'11.08.20.
車輛から下り道祖神社前に鎮座 厳かに年番渡御発御式

昭和60年(1985)建造と新しいが、毎年の浜降り祭で潮風受けて神輿の痛みが激しい。 梨子地色唐破風屋根、台座三尺(92cm)、浅草 宮本重義建造。
屋根には神紋の「八咫鏡」。これを約50人で担ぐ。大太鼓も同時期建造です。
 

名物太鼓も転送してくる。'11.08.20. 図太い撥はこん棒です。'11.08.20.   この太鼓は寒川神社の名物で、悪魔を追い払うために力強く打ち鳴らす。 「ぶち」という撥で力の限り打ち付けます。 まるでこん棒の様な撥で、図太いのは跳ね返えされないためです。 昭和始めまでは主役はこの太鼓で、太鼓の皮をできるだけ早く打ち破ることが、若衆の誇りでした。
神輿と共に車載転送の太鼓 太い撥で試し太鼓叩き

18時〜19時頃は神輿をかついで海に入る「御浜下り」 (海中渡御)が千葉ポートタワー下の海岸で行なわれる。 「御浜下り」は、鎌倉幕府の重臣の千葉氏が、一族の守護神として祀った妙見尊の祭礼として、 千葉郷あげての大祭を開催したことに由来している。宮入は21時です。  

指揮者の合図で下げの神輿揉み。'11.08.20. 膝下から一気に差し上げ。'11.08.20. 神輿揉み上手く出来たと喜ぶ。'11.08.20.
指揮者の合図で渡御の神輿揉み 神輿揉みの差し上げ 掛け声で自ら興奮の若手担ぎ手

印半纏は神社の神紋が三種の神器の一つ、 「八咫鏡(やたのかがみ」なのでそれを図案化したもの。 半纏は二通りで、鏡の表をあらわす「氏子衆」、 鏡の裏側(紐が付いている)を表わす裏方の「氏子青年会」です。   samu-togyo2.jpg(10476 byte) 休息で体力復活したのか担ぎ手達。'11.08.20.
神輿揉みを繰り返して渡御 入れ替も加わり元気な担ぎ手

祭神は天照大御神と、寒川比古命(さむかわひこのみこと)、 寒川比売命(さむかわひめのみこと)、 あらゆる災いを祓う霊験あらたかな神として、 魔除、厄除、方位除の神社として崇敬を集ている。 神奈川県宮山の寒川神社にも祀られてる。

年番町会は、「末広、長洲一、長洲二」。 「港町、寒川一、寒川二、寒川三」。  「新宿、新田町」。 「神明町、出洲港」。の四組で以降繰り返す。  

渡御の要所で行う神輿揉みの差し上げ。'11.08.20.
年番区神輿渡御での神輿揉みの息合った差し上げ

石垣の上に建つ道祖神社。'11.08.20. 氏子と宮神輿が鎮座する。   新田町道祖神社。天狗信仰を示す羽団扇の紋。 道祖神社の祭神は猿田彦大神(道祖神)と天鈿女命(夫婦の神)で、 縁結びの神、夫婦和合の神です。
新田町という地名はここにかつて農地があった事を偲ばせる。
千葉市中央区新田町22-15。
道祖神社の社殿 新田町会と神社神輿

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