歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。鶴岡八幡宮(鎌倉八幡)本宮の古式神輿三基が担ぎだされる神幸祭
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    鶴岡八幡宮(鎌倉八幡宮)の神幸祭 平成23年9月 (毎年)

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本宮より出御してきた鳳凰の応神天皇と宝珠の比咩神の本宮神輿が大石段を下り出す

kamakura-pop.jpg(10986 byte) 大石段脇の大銀杏は倒壊してない。'11.09.15.   鶴岡八幡宮の例大祭・神幸祭
'11.09.15.(定日) 午前10時例大祭
   午後13時~15時 神幸祭
例大祭は文治3年(1187)の旧暦の
8月15日に源頼朝が放生会と流鏑馬を行ったのがその始まりで、 現在では新暦の9月15日に行われる。
神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1番
例大祭神幸祭POP 鶴岡八幡本宮に大銀杏ない

鶴岡八幡宮は武家源氏および鎌倉武士の守護神で、鎌倉八幡宮とも呼ばれる。
康平6年(1063)に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏二代目の源頼義が、 前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺を、 鎌倉の由比郷鶴岡(現在の材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりである。 治承4年(1180)平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った源頼朝は、 宮を現在の地である小林郷北山に遷す。そのため由比の社を元八幡と呼ぶ。
 

神事は関係者以外は立ち入り禁止。'11.09.15. 社務所から出御祭の本宮へ。'11.09.15. 大石段登り本宮へ。'11.09.15.
神事執行中は拝殿入室禁止 社務所から神職出御祭へ出立つ 大石段を昇り神事の本宮へ

大石段は61段あり登りきると桜門、額は「八幡宮」の文字で「八」の字は八幡の神使の鳩が二羽。 その奥に拝殿とつながった本宮がある。
午後1時より出御祭が行われ、祭神の応神天皇、比咩神、神功皇后をそれぞれ三基の神輿に遷し、 1時半頃本宮から出て大石段下りて宮出しとなる。
 

鳳凰の応神天皇。'11.09.15. 宝珠の比咩神。'11.09.15. 菊の神功皇后。'11.09.15.
鳳凰が応神天皇の本宮神輿 宝珠が比咩神の本宮神輿 菊が神功皇后の本宮神輿

本宮神輿の3基(寛永初期の造営)は、鳳凰が応神天皇(おうじん・第15代天皇)、宝珠が比咩神(ひめがみ・応神の妻)、 菊が神功皇后(じんぐう・応神の母)の神輿で、烏帽子、白丁姿の氏子崇敬者が奉舁(ほうよ)する。
本宮よりすこし小振りの若宮神輿が4基の合計7基あり桃山期から江戸初期頃の形態的特徴をもち、 ともに神奈川県の文化財に指定されている。
 

神幸祭の華やかな隊列。'11.09.15. 神具を掲げても渡御。'11.09.15. 巫女が八乙女を補佐する。'11.09.15.
錦旗が先頭の神幸祭の隊列 太刀や幟を掲げて渡御 八乙女を巫女が囲み補佐する

神幸祭の隊列は太鼓橋の三之鳥居から錦旗・高張提灯・太鼓・楯・鉾・弓・矢・太刀などと共に列を整えて、 若宮大路の御旅所である二之鳥居まで渡御をする。
本宮神輿三基の殿の馬上の宮司は神幸祭の隊列を守護する。
 

本宮神輿の応神天皇。'11.09.15. 本宮神輿の比咩神。'11.09.15. 本宮神輿の神功皇后。'11.09.15.
応神天皇の本宮神輿 比咩神の本宮神輿 神功皇后の神輿で殿が宮司

御旅所祭の開始。'11.09.15. 八乙女の舞。'11.09.15. 宮司が御旅所祭終了宣言。'11.09.15.
御旅所祭の執行始まる 八乙女の舞が奉納される 祭事の執行を滞りなく終える

若宮大路を渡御してきた三基の本宮神輿は二之鳥居下のお旅所に、 応神天皇の神輿が比咩神と神功皇后と共に鎮座し、御旅所祭が執行される。  

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神馬の清々しい白馬 御旅所祭の祭事を終えて本宮へと連なって還御していく

約800年の長きにわたり奉納されているという、ひたすら鈴を鳴らす八乙女の舞が披露され、 祭事が終わると祭列は本宮へ還御する。 境内では三日間参道の太鼓橋脇で、鎌倉囃子の笛や太鼓の音が賑やかに鳴りひびくのです。  

鶴岡八幡宮の参道は若宮大路と呼ばれる。由比ヶ浜から八幡宮まで鎌倉の中心を南北に貫いており、 京の朱雀大路を模して源頼朝が自らも加わり築いた。二之鳥居からは段葛(だんかずら) と呼ばれる車道より一段高い歩道がある。 北条政子の安産を祈願して造営された参道で、 道路の中央に二筋の葛石を並べて周囲の道路よりも一段高くしたもの。 往時は由比ガ浜から続いていた。段葛を抜けると三之鳥居があり、境内へと到る。  

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二之鳥居のお旅所で緑の千早に緋袴姿の乙女により鈴を鳴らす八乙女の舞の奉納

鎌倉地名の由来:  鎌倉という地名は、かなり古くから使われていて、奈良時代の「正倉院文書」の中の「相模国封戸租交易帳(735年)」の中に 「鎌倉群鎌倉郷三十戸田百三十五町百九歩」という記載がある。 最古の歌集である「万葉集」の中にも、鎌倉を歌ったものがいくつか収録されている。
鎌倉の「かま」は「かまど」のことで、「くら」は谷を表わすという。 鎌倉の地形が、三方は山で、一方が海のため、かまどのような形をしているからだという。
また、この土地に神様の倉があったので「かみくら」と言われ、それがのちに「かまくら」と言われるようになった。 等諸説あるが、 遅くとも奈良時代にはもう「鎌倉」という地名が使われていたのです。
 

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