歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。 台座5尺の大神輿は関東では一番と言われ坂道でも担いで渡御をする
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    有馬神明神社 平成23年10月 (毎年)

大神輿が悠然と鷺沼駅前交差点を曲がりです。'11.10.02.
鷺沼駅前から悠然と担がれて渡御再開の担ぎ手と同じく三又も大活躍

渡御時間の駐禁POP。'11.10.02. 先導するお囃子は後方気にする。'11.10.02. ジワリと坂道登る大神輿。'11.10.02.   有馬神明神社
'11.10.02.(日曜)
宮出し8時〜
   宮入18時
鷺沼駅前10時前
川崎市宮前区
有馬5丁目13-24
渡御中の駐禁POP 神輿まだ来ないのかと気にする ジワリと坂道登ってくる大神輿

創立年歴は不詳ですが、残されている資料から文政6年(1823)以前と推察される。
明治3年の「神社明細帳」には弘化2年(1845)に再建とあり、明治43年の記録には、 現在の神明神社 (当時は村社)に北耕地 (現在の有馬8丁目)の雑社・杉山神社、東耕地 (現在の東有馬3丁目)の雑社・ 神明神社が合併したとある。この他鷺沼耕地の雑社・稲荷神社・面足神社、北耕地の雑社・ 稲荷神社も現在の神明神社に合併されたと記されている。
社殿は老朽化により平成14年新社殿が竣工した。白幡八幡大神(宮前区平)が兼務社。
 

大神輿が坂道を半歩ずつ前進してくる。'11.10.02. 担ぎ棒も大きく担ぎ手が見えない。'11.10.02. 道半ばで我慢の担ぎ。'11.10.02.
厚木BPガード下から登ってくる 担ぎ手達は重さに我慢の担ぎ きつい登り坂道はもう少し続く

平成19年(2007)建造で、台座5尺(153cm)の神輿を担ぐ渡御はないはずだ、と氏子役員は胸を張る。 7年間かけて作られた神輿は、全長8m、本体高さ3.5m、重さ約2トンの大神輿です。 祭神は天照皇大神 (大日霊貴命配祀神)  

丘の上の鷺沼駅前に辿り着く。'11.10.02. クレーン車のワゴンから化粧直し。'11.10.02. 小雨の桜並木を台車で移動。'11.10.02.
やっと丘の上の鷺沼駅前に到着 休息時にクレーン車使い化粧直し 台車で桜通りから出発地に移動

毎年の例大祭では、神社の大神輿が有馬から鷺沼にかけての町内を練り歩く。 氏子区域は宮前区有馬、鷺沼、東有馬。鷺沼駅前は予定より遅れ10時です。  

大神輿ゆえ鷺沼駅前交差点の方向転換も一苦労。'11.10.02. 坂道も台車使用せず担いで渡御。'11.10.02.
鷺沼駅前からいきなりの交差点廻しに一苦労 長い下り坂は膝をかばう様に小幅で慎重な担ぎ

江戸神輿同好会 「双龍会」の今回担ぎ参加の方々。
大神輿を担いできた喜びで皆さんは満足笑顔です。
現役の方が大半で全会員が揃うのは難しいとか。
事務局は江戸時代の将軍の鷹狩場の一つで、落語で有名な 「不味い!何所で買った」 はっ! 「魚河岸です」  うむぅ! 「それはいかん秋刀魚は目黒に限る」の 「目黒のさんま」で一躍名を馳せた目黒。
その行人坂目黒雅叙園前の割烹 「よし祥」内です。
  江戸神輿同好会の双龍会。'11.10.02.

難所の坂道を半歩ずつ慎重に。'11.10.02.
大神輿には難所の鷺沼入口からの坂道をジワリジワリと厚木街道ガード下を目指し下りていく

鷺沼地名の由来:  「鷺沼谷戸」(さぎぬまやと)と呼ばれる谷戸(丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形)が長く伸びており、 それをもとにして有馬村に設置されていた「鷺沼耕地」という小字に由来する。  昭和中期までは家が数件の他には農地と山林が続いている地域であったが、 昭和41年(1966)東急田園都市線が長津田まで開通し、鷺沼駅が設置されると、 以降宮前区の商業地区として発展した。  


yahoo!japan 登録サイトのHPです。

  「祭りだ!神輿だ!西鎌倉の龍口明神社」にリンク 「祭りだ!神輿だ!各地の神輿」へリンク。