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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿 |
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北見方白髭神社 平成23年10月 (3年毎・ 昨年中止で2年後か) |
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開山は亨徳2年(1453)真言宗寺院の正福寺の前を賑やかに渡御していく・・隣接の白髭の別当だろうか |
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北見方白髭神社例大祭 '11.10.09.(日曜) 宮出し11:30〜宮入18:00
新生児健康祈願の神輿潜る神輿祓い行事は珍しい。
昨年は早朝の大雨で素早い判断で急遽渡御は中止になったが、予定の宮出し時刻には何んと快晴でした。
取材に訪れた編集者は、境内中央に鎮座する宮神輿とただ向き合うだけで、頭上の秋晴れにガックリでした。
神奈川県川崎市高津区北見方2-14-7。 |
例大祭POP |
北見方白髭神社の社殿 |
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神社略記による白髭神社は、江戸時代の慶長15年(1610)に北見方総社として伊勢猿田彦神社(みちびき大神)より分霊して創建されている。
多摩川の水害によって社殿は元文元年(1738)と、天保5〜6年(1834〜5)に、本殿は昭和初期に再建されているも、
劣化により社殿(本殿、弊殿、拝殿・入母屋造り銅板葺き)を平成18年(2006)に再建し、神器庫、神饌所など併設した。 |
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新しく開墾して誕生した北見方村は下倉耕地・上耕地・大道耕地・宮前耕地・山王下耕地・
向河原の6つの字に分かれていた。
その字ごとに第六天神・伊勢宮・山王社・稲荷神社などの氏神が祀られていたが、
明治41年(1908)に北見方村の総鎮守である白髭神社に六社合祀された。 |
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北見方村の総鎮守の神職 |
白髭神社の六社の境内社 |
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新生児の健康祈願の神輿祓い |
神社前を悠然と担がれ氏子渡御 |
担がれてこそ生きる見事な大鳥 |
台座2尺6寸(88cm)の宮神輿は平成21年夏建造、前橋の鞄本木工振興製。
坂東太郎で知られる利根川の前橋市に、
優れた工匠と恵まれた環境設備で丁寧な手仕事で、
今や彫刻師3千有余人を組織する企業の神輿です。 |
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正福寺交差点手前を渡御 |
府中街道正福寺入口を横断 |
狭い路地中を賑やかに渡御 |
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北見方一丁目の狭い路地中に入り込み渡御 |
用水路の小橋を渡るため直角に方向転換 |
白髭神社の全国総社は近江の「白髭神社」で第11代垂仁天皇25年(西暦259)のときに垂仁天皇の第4皇女
倭姫命(やまとひめのみこと)が近江の地に猿田彦命(導きの神)を祀り「白髭神社」とした。
近江国最古の神社です。
祭神は人格化する際に白髪の老人になるというが、
社名から長寿の神様として知られ、能の謡曲「白鬚」の舞台ともなっている。
神紋は左三つ巴。滋賀県高島市鵜川215。 |
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府中街道を横断して北見方一丁目休息所のお神酒所を目指し狭い路地を賑やかに渡御 |
北見方の地名の由来: 多摩川川岸の荒地を開拓した武士が、
対岸の荏原郡瀬田村に居を構えていた主人の北見氏の名にちなんで名づけられたという説がある。
また地形的にみて「キタ」は台上の土地を意味しており、「カタ」は方角をさす地形用語である。
そうだとすると親村から分かれて出た川岸の子村が、「北にみえる高台」
から新開の地の分村として名づけられたとも考えられる。 |
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