|
|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿 |
|
|
|
|
豊受神社神明宮 (行徳五ヶ町祭り) 平成23年10月 (3年毎) |
|
行徳街道で白装束24人の担ぎ手による行徳担ぎの地面すれすれに回す「じすり」 |
|
行徳五ヶ町祭りでご披露の本行徳公民館前での行徳担ぎの台座5尺6寸の「差し上げ」 |
|
|
|
写真入りの行徳五ヶ町祭りPOP |
宮神輿の宮入を待つ豊受神社 |
珍しいすすきと長い提灯のし紙 |
行徳五ヶ町祭り。 '11.10.16.(日曜)
豊受神社神明宮:市川市本行徳一丁目。
行徳五ヶ町祭りは、文政九年(1826年)から続く行徳一丁目から四丁目と本塩の五つの町の総鎮守で
ある豊受神社神明宮の3年毎の大祭です。 |
|
|
|
|
白装束の精鋭24名での渡御 |
要所要所でご披露のじすり |
担ぎ手力合わせての差し上げ |
午前3時触れ太鼓。半月印を付けた祭礼役員による下新宿渡御、4:50〜5:50。
白装束24名で一丁目の渡御 6:00〜7:50. ここから神輿をもみ始める。
以降、二丁目渡御 8:00〜9:50。三丁目渡御 10:00〜11:50。四丁目渡御12:00〜13:50。と続き、
役員が運ぶ御輿道渡御14:00〜14:30のを経て本塩14:40〜17:40。
本塩宮出し18:30〜19:00で豊受神社への宮入です。 |
|
|
|
|
渡御列が行徳2丁目会場に到着 |
行徳2丁目式典に氏子全員参列 |
急げ3丁目引き渡しまでの担ぎだ |
|
|
行徳街道で行徳担ぎの「差し上げ」 |
独特の神輿揉みの「ほうり受け」 |
浅子周慶建造で台座は5尺6寸(170cm)重さ500kg。白装束24名でワッショイ担ぎで、
先導者の笛を合図に地面すれすれに回す「地擦(じすり)」
と片手で高々とさし上げその場で回る「さし」と鈴板を揺らさず、鳴らさずに神輿を放る「ほうり受け」
の三つの技を繰り返す独特のもみ方が「行徳担ぎ」が特徴です。
宮神輿は平成22年に全面改修工事を行い、中台製作所が作業している。 |
|
行徳地区は神輿の生産地で浅子周慶(本行徳・廃業)、中台祐信(本塩)、後藤直光(関ヶ島・廃業)
と神輿や神具の老舗があり、関東の神輿の大半が実は行徳製なのです。
江戸時代に日光東照宮を作った宮大工が行徳地区に移り住んで神輿を作ったのが始まりと言われ、
神輿づくりには、木工、漆工、金工など様々な技術技法が伝承され、神輿芸術と言われこの技術技法が駆使される。 |
|
|
|
|
2丁目円頓寺路地から行徳街道へ |
|
|
|
三丁目八幡神社。
祭神:誉田別命 祭日:10月15日。
創立年代は不詳ですが、行徳3丁目の鎮守です。
鎮守八幡大神を掲げる披露座敷には「ちりめん細工」が奉納され、ススキは豊作の稲穂に見立てたのか。
|
八幡宮と台座4尺5寸の白棒神輿 |
八幡前の八幡大神座敷披露 |
|
|
|
|
|
八幡宮鳥居前での「じすり」 |
音頭取りの合図に「差し上げ」 |
担ぎ手の息の合った「ほうり受け」 |
祭礼を一年間待ち続けて豊受神社の宮神輿を担げるのは、10時から11時50分までと短すぎるとの、
三丁目八幡氏子青年部の要望に、中台製作所の台座4尺5寸レンタル神輿で存分に担ぎなさいと、
八幡宮氏子役員会の粋な計らいです。 |
|
|
行徳担ぎの「じすり」と、「さし」に続いて「ほうり受け」が見事に決まり観衆から拍手沸く |
行徳の名の由来は、現在の東京都江戸川区東篠崎町辺りに神社を建てた金海法印という山伏の別称である。
この地の開発および人の教化に努め、徳が高く行いが正しかったことから、多くの人から「行徳さま」と崇め敬われたといわれ、
行徳という地名が起こった。
金海法印が行徳を訪れたのは1527年とも1542年とも1614年とも言われているとか。
江戸時代の「行徳領」は、浦安、市川、船橋の一部も含んでいた。
現在において最も広義に「行徳」という場合、
江戸川区の葛西から浦安を経て行徳地区までの範囲となる。 |
|
|