出来野地名の由来: 新田開発のために大師河原に移住してきた池上家二十一代幸広が、
弟・七左衛門、小島六郎左衛門と協力して開墾したのが稲荷新田(現在の大師河原・殿町〜日ノ出)で、
七左衛門家(七稲荷組)、六郎左衛門家(六稲荷組)によって所領が分けられた。
七稲荷新田に属した現在の日ノ出・出来野と昭和の一部が、後の字出来野耕地となったが、
日ノ出(1〜2丁目)が出来野の本村であった。
耕地整理によって昭和11年(1936)に東の海上に昇る太陽にちなみ現町名の日ノ出に改称された。
日ノ出二丁目の南には出来野の氏神、弁財天社(厳島神社)があり、
ここはまた、長十郎梨の発祥地です。
明治26年(1893)当麻辰次郎の梨園で発見され、大正時代には全国の八割の生産量を占めた。
江戸時代から続いた梨産地も、川崎区の工業化で梨園は姿けし現在は作られていない。 |
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