歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。大黒天と恵比寿が福を授けながら渡御をする秦野出雲大社の福迎祭
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    秦野出雲大社相模分祀 福迎祭 平成24年正月3日 (毎年定日)

伊勢ヶ濱部屋力士に見送られ宮出し。'12.01.03.
冬晴れのなか拝殿前で伊勢ヶ濱親方や日馬富士や安美錦に見送られドッコイ担ぎでの宮出し

福迎祭POP。'12.01.03. 独特の左からしめ始める注連縄。'12.01.03. 初詣で参拝者の長い列。'12.01.03.   出雲大社相模分祀
 最大の祭り福迎祭
'12.01.03.(定日)
餅つき奉納 11:00
福餅まき祭典13:30
福迎祭神輿渡御
  14:30〜15:30
秦野市平沢1221。
福迎祭のPOP 出雲大社の左しめ始めの注連縄 初詣参拝者に神輿お披露目

出雲大社相模分祀:  相模分祀は明治21年(1888)秦野市の渋沢峠地区に建立され、昭和50年(1975)に現在地に遷座した。 祭神は大国主之大神(大黒天)、事代主之大神(恵比寿)。境内には「千年の杜の水」と言う湧水がある。  

御魂遷しの儀が始まると、境内の和やかな参拝者は頭を垂れ瞬時に冷気漂う静寂の中に包まれる。
拝殿脇で横笛が響くなか、宮司が恭しく御魂を抱え込み静々と神輿に近づき、御魂を神輿胴内に遷す。
  横笛に送られ宮司拝殿から下りる。'12.01.03. 神輿胴への御魂遷し。'12.01.03.
冷気漂うなか横笛が清らかに響く 宮司が神輿胴に御魂を遷す

大鳥居を潜り威勢良い掛け声で広い参道へ。'12.01.03. 大社参道から御嶽道へとドッコイどっこい。'12.01.03.
威勢よくドッコイどっこいと大鳥居を潜る ドッコイ担ぎは二天棒なので神輿水平維持は難しい

渡御路は大社境内から〜御嶽神社〜出雲大社入口を約1時間かけて往復する。
なお南はだの村の七福神である、出雲大社の大黒様、隣接の御嶽神社(創建は建久3年(1192)ころ)には恵比寿様と、 福集めの初詣でをする人が多い。
神輿の屋根神紋は二重亀甲に剣花角です。 亀甲紋は出雲大社の神紋として知られている。全国の出雲系の神社では、この亀甲紋を用いるものが多い。

秦野駅前の湧水。'12.01.03.   秦野の湧水: 秦野盆地は天然の水瓶であり、地下には芦ノ湖の1.5倍の地下水があるといわれ、市内には多くの湧水がある。 特に丹沢山地扇状地の南秦野地区には多く、無名の民家の庭にも湧水が多くあります。
明治23年に湧水を水源とした秦野水道は、横浜、函館に次いで全国3番目の近代水道事業を始めている。 秦野盆地湧水群は昭和60年(1985)全国名水百選に選定された。
小田急秦野駅前の湧水

御嶽神社の御嶽道と称す参道を渡御していく。'12.01.03.
鳥居参道から県道62号線の出雲大社入口を目指して大国・恵比寿の先導で冷気のなか出立つ

現在の市名は「はだの」であるが、古くは「和名抄」(平安中期の承平4年(西暦934)ごろの漢和辞書)に「波多野郷」とあり、 万葉仮名は清濁を区別することから「はたの」であったと考えられる。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、 平将門を討伐したことで有名な藤原秀郷の子孫・佐伯経範が平安後期の長元3年(1030)ごろ秦野に移り住んで波多野氏を名乗った。 鎌倉幕府の御家人となり、後の戦国大名となった。戦国大名の波多野氏から秦野となったのではなさそうである。
 


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