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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿 |
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浦安三社祭り 平成24年6月 (4年毎) |
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'12.06.16(土曜)〜17.(日曜)
各神社とも宮出し9時〜宮入19時。(両日とも)
浦安三社祭とは、4年毎の夏季オリンピックと同じ年に千葉県浦安市で行われる夏祭りです。
同市の母体となった3集落それぞれの鎮守である神社から、100基前後の神輿が出ます。
宮神輿を先頭に神輿が練り歩く風景は壮観です。
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浦安三社POP |
清瀧神社の山車役員の浴衣姿 |
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浦安は埋立てで大きくなった町で、元の土地から比べると4倍になった。
浦安市の前身の浦安町は猫実村、堀江村、当代島村が合併しできたもので、
この3つの地域(元町)は地名として今も残り、
大正14年から神輿を担ぐ浦安三社祭りは、
この猫実の豊受神社、堀江の清龍神社、当代島の稲荷神社の各鎮守の合同祭です。 |
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休息後のパワーで浦安サンホテル前を女神輿や町会神輿と連合で渡御する稲荷神社 |
○ 当代島の稲荷神社。浦安市当代島三丁目11。
元禄二年(1689)に武蔵國小岩村(現東京都江戸川区小岩町)の善養寺から移し祀ったものであるといわれ、
屋敷神の稲荷さまを氏神としていた。現在の祭神は穀物豊穣の神の豊受大神です。 |
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昼ご接待休息後の渡御の再開 |
威勢よく「まえだまいだぁ」の掛け声 |
浦安駅西口での行徳担ぎ地すり |
浦安三社祭りでは「マエダ、マエダ」(浦安弁でまいだぁ〜)というかけ声が特徴。
これは、漁村気質からの喧嘩神輿、暴れ神輿をまっすぐ進ませるために「前だ、前だ〜」
と神輿指揮者から掛けられたかけ声に由来すると言われる。 |
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庚申堂前にて小休止の宮神輿二基に渡御の担ぎ出しの木が鳴る |
○ 猫実(ねこざね)の豊受(とようけ)神社。 浦安市猫実三丁目十三番。
御祭神に豊受姫大神を祀る神社で、保元二年(1157)の創建といわれ、
豊受神社のご祭神は、明海・入船・海楽・北栄・猫実・日の出美浜地域の氏神様で、
主に衣食住の神様として知られている。 |
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商店街渡御の豊受東組の神輿 |
庚申堂前交差点に入り込む |
激しく神輿揉み繰り返す |
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庚申堂前での豊受西組の行徳担ぎ風の地すり |
西組の一気に決めた行徳担ぎ風の差し上げ |
担ぎ方は市川市行徳地区の「行徳かつぎ」所作であり、「地すり」(地面すれすれまで神輿を下げ、回転させる)、
「差し上げ」そして
「放り受け」(空中に投げ上げる)と呼ばれる動作を、交差点など神輿渡御ルートの主要な地点で行う。
行徳担ぎの所作はそれぞれ3回繰り返すが、浦安では各所作は一回か?。 |
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大三角線から威勢よく桜通りに入りこむ清瀧神社の八棟屋根神輿の連合渡御 |
○ 堀江の清瀧(せいりゅう)神社。浦安市堀江4四丁目1。
御祭神に大綿積神(海の神)を祀り、
創建については定かではありませんが、建久四年(1196)の創建と伝えられている。
境内には明治5年にオランダ技師が設置した近代日本の最初の水準測量の標石(河の水位の基準点)が現存する。 |
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清瀧山車の粋な浴衣姿の役員 |
桜通りを清瀧神社の連合渡御 |
八棟屋根の宮神輿が連なって |
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地面すれすれまで下げ回転させる地摺り |
清龍神社の見事に決めた差し上げと放り受け |
明治22年(1889)堀江、猫実、当代島の三村が合併して「浦安村」が誕生した。
その当時の浦安村の戸数は1.040戸、人口5946人であった。
漁師の集落であった漁浦の安泰を祈願するという意味を込めて「浦安」と名づけられたという。
現在の浦安市は、東京湾最北部の東京ディズニーの開業で全国的に知られる。
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