歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。 煌びやかな胴に大屋根の重量感溢れる重厚な宮神輿の大曽根八幡神社
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    大曽根八幡神社大祭 平成24年10月 (3年毎)

県道を悠然と渡御。'12.10.14.
重量感溢れる大神輿が大曽根北お神酒所から県道を悠然と渡御です

大祭POP。'12.10.14. 大鳥居は耐震補強。'12.10.14. 祭礼鳥居の又木と社殿。'12.10.14.   大曽根八幡神社
'12.10.14.(日曜)
宮出し9時〜16時
葛西用水路の境橋西側に建つ。つくばエキス八潮駅徒歩20分。
埼玉県八潮市
 大字大曽根21-1
大祭POP 参道入り口の補強された大鳥居 参道に祭礼用鳥居の又木と社殿

大曽根八幡神社は文亀2年(1502)の創建。譽田別命を御祭神として境内に稲荷神社・天神社・古峯神社を祭祀する。 現社殿は明治28年に再建。 社殿は彫物尽しで、拝殿の向拝から簡素な玉垣に囲まれた本殿すべて、彫物で覆われている。 なお全面に彫刻の施された本殿は、大きな屋根で保護されている。  

長い参道に建つ大幟と社殿前の仮設鳥居の又木が祭礼を盛り上げる。
一の鳥居(天保15年/1844建造)から二の鳥居(宝暦11年/1761)三の鳥居(文化6年/1809)までが建つ長い参道。 安政の地震で全て崩壊したが安政5年に再建された。東北大地震で倒壊免れたが補強された。
  参道中程に大幟。'12.10.14. 参道に並ぶ夜店。'12.10.14.
住宅街の参道の中程に建つ大幟 社殿前に連なる夜店と鳥居

葛西用水路は江戸時代初頭の万治3年(1660)に江戸幕府が天領開発の一環として、 関東郡代の伊奈忠克に開発させた利根川からの灌漑用水路である。
埼玉の見沼代用水、愛知県の明治用水とならび日本三大用水路の一つです。
 

土煙上げて威勢よく担ぎ出し。'12.10.14. 大曽根北交差点を横断。'12.10.14.
大曽根北お神酒所から土煙上げて威勢よく担ぎ出し 悠然と大曽根北交差点を横断してくる

大屋根に野筋から延びた大きい蕨手に古風な大鳥、台座 4尺1寸(125cm)の重厚で異様に重い神輿で、 担ぎ手の皆さん5分も担ぐことができないとか。  

重量感と戦う担ぎ。'12.10.14. 周りは担ぎ手を鼓舞する。'12.10.14.
次ぎのお神酒所まで重圧にめげぬ担ぎ 掛け声と手拍子で担ぎ手を鼓舞し盛り上げる

長い参道を担いで、神社鳥居前の県道102号線から大曽根交差点ザ・ビック、大曽根北の鳥忠、南埼液化ガス前、 大曽根西交差点から左折してコンビニひらの前で12時、大曽根中方面から夕刻の宮入へと渡御です。  

女性担ぎ手も負けじと大神輿担ぐ。'12.10.14.
ホームセンター島忠前お神酒所から女性に鼻を担がせる粋な計らいで渡御再開

神輿揉み繰り返し渡御。'12.10.14. 車道占有しての渡御が続く。'12.10.14.
休息で体力回復したのか?大曽根西へ 悠然と車道を威風堂々と貫録の渡御

県道を南下して大曽根西交差点目指す。'12.10.14.
次ぎの休息所の大曽根西のお神酒所へ向けてバス路線を悠然と渡御です

大曽根八幡神社の宮神輿は、延軒屋根の平屋台造りの重厚で煌びやかな神輿です。
何故か馬が低いのは、神輿の御魂を出来るだけ地面に近づけて、 大地に感謝し五穀豊穣を願う農村の伝統の所作なのでしょう。
  平屋台造りの重厚で煌びやか。'12.10.14. 大地に感謝の低い馬。'12.10.14.
煌びやかな平屋台造りの胴 異様に短い担ぎ棒と低い馬

八潮地名の由来: 八潮市は合成地名です。 潮止村、八條村、八幡村の3村が昭和31年(1956)に合併し八潮村になった。 八がつく村と潮がつく村の合併です。
平成17年(2005)には、つくばエクスプレスが開業して急速に農地の住宅化が進み東京のベットタウンになった。
 

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