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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿 |
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八千代飯綱神社三十三年祭 (中年祭) 平成24年11月 (16年毎) |
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井桁に組まれた担ぎ棒で本殿や鐘楼を神輿揉み繰り返し怒涛の如く周回です |
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参道58段の急勾配石段 |
権現山の頂きに建つ社殿 |
広い境内の社務所前で式典 |
権現さまとも呼ばれる飯綱神社は、新川を見下ろす萱田台地の突端にあります。
天保三年(1832)建造の急な石段を登ると大鐘楼が、さらに進むと社殿がある。
飯綱神社は太田道潅(室町時代の武将で江戸城を築く)が、米本城(新川右岸)を攻めたとき、
この地の権現山に陣を張って戦い、守り本尊である十一面観音菩薩に祈願して勝利したので、
文明11年(1479)に創建とある。 |
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氏子役員のによる樽酒鏡割り |
露払い役の金棒衆は白狐化粧 |
旧道の萱田街道の祭礼横断幕 |
飯綱神社の三十三年祭(中年祭り)。 千葉県八千代市萱田476。
'12.11.03.(土曜) 9時〜18時。(南部渡御) 4日(日曜)11時〜18時。(北部)
長すぎるとのことで、中年(なかどし)祭りで、夜店もない素朴な「村祭り」です。 |
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境内で役員達の躍動する激しい神輿揉み |
竹藪背景に差し切る威風堂々の宮神輿 |
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境内周回3回繰り返して袴腰の鐘楼前での最後の差し切り行い宮出しの北参道へ |
さすがは山岳信仰の神の社。神仏混淆の飯綱権現といえば、高尾山(飯縄大権現)にも祀られるが、
垂直な壁のよう長い石段を上ると、これまたさすがは神仏習合、
文化11年(1814)建立の、このお寺のような立派な袴腰の鐘楼です。
社殿は文明11年(1479)の創建とされ、本殿は安政3年(1856)に再建されている。 |
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境内の市文化伝承館横から北参道へ |
萱田地区渡御へ北参道鳥居からの宮出し |
土曜日は9〜18時で南側の地区内
(神社を出発、萱田下公会堂・長福寺・萱田上自治会館・市民体育館・警察署・
市民会館を通り新道南側の萱田の飛地で引き返し、警察署・長福寺・萱田下公会堂を通り神社に戻る)
日曜日は神社から北側の地区内
(神社を出発、田んぼ沿いの道を城橋へ向かい橋の中央で引き返し坂を登り神社へ戻る)を回る。 |
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急石段参道前で萱田氏子南地区へ渡御出立つの放り上げでご挨拶 |
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もっと下げて下げろと指揮者指示の揉み下げ |
上下に四回振る揉み上げで五回目に放り上げ |
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決めた萱田上自治会館近くの奉賛者宅でお礼の神輿放り上げ |
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放り受けて回転はまるで行徳担ぎ |
激しい廻れ差し上げで房も踊る |
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指揮者の合図で神輿揉み下げ |
1.2.3.4.と反動つけ5.で放り上げ |
廻せ廻せと3回転の差し上げ |
渡御路では落花生農家が多く、奉賛者の軒先で放り上げの神輿揉みを繰り返しながら渡御して行く。
その都度行うので担ぎ手達は神輿揉み所作がきついと。 |
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現在三十三年祭で渡御する新神輿は、昭和33年の建造で台座は68cm2尺3寸と小振り神輿です。
常時八千代市文化伝承館内に展示されている旧本社の神輿は昭和7年の建造で、台座は90cm3尺です。 |
煌びやかな昭和神輿 |
古色蒼然な旧本社神輿 |
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祭神の宇賀之御魂命は稲荷神・飯綱権現。
33年式大祭の理由ははっきりしていないが、創建に係わる十一面観世音菩薩があり、
観音菩薩は33に化身(変化)することから三十三年目に元の十一面観音菩薩に戻ることからが起源とか。 |
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八千代市萱田地名の由来:
もともと「草田」(かやた)と呼ばれていたのが変化したもので、
白幡前遺跡から「草田」と書かれた墨書土器が出土したことから判明した。
「草田」の由来は現在の新川を中心に茅やススキが一面に生い茂っていたためと思われる。 |
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