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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 日本各地の神輿 |
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秦野西田原八幡神社 平成28年3月 (毎年) |
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宮出し乾杯を経て社殿前の急な石段をお祓い神職に続き慎重に担ぎながら降ろされてくる |
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西田原八幡神社
例大祭 '16.03.27.(日曜) 宮出し12時 宮入18時半
秦野市西田原404 兼務社 出雲大社相模分祀 |
バス停前の神社入口の大幟が春風になびく |
鳥居を潜り参道の中間に長屋造りの神楽殿と物置小屋 |
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当社は天正五年(1577)、京都石清水八幡宮より勧請された神社で、祭神は誉田別命(応神天皇)で西田原の氏神として尊崇され、
明治五年(1872)、八幡宮を八幡神社と改称した。明治十五年、指定村社となる。
昭和39年(1964)に社殿を再建する。 |
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石段を登った高台の狭い社殿前で兼務社の宮司が抱く御魂と共に蓋隠し幕? で覆いながら厳かな御魂遷しの儀が静々と行われる。 |
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社殿下の広場へと台座4尺2寸(127cm)の宮神輿が祭り囃子に鼓舞されて急石段を慎重に降りだす |
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宮神輿に続いて台座2尺8寸(85cm)の小神輿も足元を注意しながらゆっくりと降りてくる |
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緊張の石段降りから解放されて社殿下の広場でお囃子鼓舞されて二基連合の神輿揉み |
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社殿下の広場で一揉みして長屋造りの神楽殿脇から鳥居を潜りバス通りへ宮出しです |
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隔年で替わる今年の渡御路は東廻り |
奉賛者宅への御礼の差し上げご挨拶 |
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渡御列の先頭を山車その後ろに提灯と鉄棒そして小神輿次に神職と宮神輿で殿が山車 |
自治会の子供樽神輿の5基が宮神輿に先駆けて各自治会町内へ個々に巡行していく。
宮神輿の渡御路は隔年で反転する。鳥居下から今年は東廻りです。
宮神輿は台座4尺2寸(127cm)と小神輿は台座2尺8寸(85cm)の二基。
山車のお囃子は2台とも太鼓1、小太鼓2、横笛1で甲高い音で担ぎ手を鼓舞。
セリ担ぎは自治会館式典でご披露とか。 |
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台座4尺2寸の宮神輿の担ぎ手にハンドマイクで頑張れと鼓舞する神輿責任者 |
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丹沢山脈を背にして渡御列の先頭と最後尾の山車が甲高い祭り囃子で担ぎ手達を鼓舞する |
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渡御初回の小休息所前での息を合わせての差し上げご挨拶 |
秦野: 平安時代末期から鎌倉時代にかけて、平将門を討伐したことで有名な藤原秀郷の子孫・佐伯経範が1030年(年号・長元)ごろ秦野に移り住んで波多野氏を名乗った。
後に支流として、松田氏・渋沢氏・河村氏・栢山氏・大友氏・沼田氏などが出て、相模西北部にその一族の勢力を伸ばす。
現在の秦野市内、足柄上郡松田町・山北町、南足柄市、小田原市の一部が相当し、波多野城(所在位置は不明)は一族の居館であった。
その後、鎌倉幕府の御家人となり、後の戦国大名の波多野氏となった。 |
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