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町家建築の歴史的遺産 |
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蔵店舗・老舗店舗/現代に蘇った越後屋 |
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江戸時代から現代に蘇った越後屋。三井高利が延宝元年(1673)にお江戸に開業した「越後屋呉服店」
を同じ場所でほぼ忠実に当時を再現している。看板には「現金掛け値なし」と明記されている。
撮影・05.10.14.
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江戸の大火に遭い即刻移転した駿河町(現日銀本店)に道を挟んで両側に店舗を構えた越後屋。 |
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三井家の始祖である松阪商人の三井高利(1622〜1694)
写真は共に三井小史より |
三井高利。 通称八郎兵衛。伊勢松坂の商人の子(1622〜1694)
三井家の始祖。大名貸しや米の売買で産を成して延宝元年(1673)に
江戸と京都に「現銀安売掛値なし」の新商法で薄利多売を行う呉服店「越後屋」を開き、
以降天和3年(1683)には江戸と大阪に三井両替商をも営み幕府・諸藩の為替御用達の地位を得る。 |
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三井不動産が江戸時代の越後屋の外観を三井グループ発祥の地にである東京都中央区日本橋室町の
三井第三別館(旧千疋屋跡)に再現した。再現店舗は10月から'06年3月までの暫定店舗なのです。
明治時代には両替所部門は三井銀行にそして呉服部門は三越となる。 |
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呉服越後屋の看板に隣接の刃物店の看板が重なっている。
周辺の老舗山本海苔店やにんべんと競い合って当時から賑わったのでしょう。
再現された越後屋の壁面には当時の情景が描かれて往時賑わいを偲ばせる。
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明治維新には番頭の三野村利左衛門の進言で朝廷に献金して新政府の優遇を受けて
三井発展の基礎を固め明治9年(1876)に三井銀行・三井物産を設立する。
明治20年(1888)三池炭鉱払い下げで3事業を中心に全産業に進出する。 |
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中興の祖である三野村利左衛門(1821〜1877) |
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明治7年頃の三井呉服店。後方白い三井組ハウスは日本最初のオフイスビルである
写真は共に中央区史30年史より |
三野村利左衛門。 文政4年(1821)信濃庄内藩士の子とされるが不詳。明治10年(1877)没。
油売りや両替屋を行い無学であったがその商いで会得した情報網を駆使した商法が三井に採用され
以降情報を重要視し幕政や新政府に入り込みわが国初の第一国立銀行・三井銀行・
三井物産を設立して三井の中興の祖となる。 |
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