歴史の
浪漫街道
お江戸の神輿 瀬田玉川神社の圧巻は急階段参道で宮出しと夕闇の中での押し上げ宮入。
伝承と伝統の民族文化遺産
祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿
瀬田玉川神社 「例大祭」
平成19年10月 (毎年)
命綱を緩めながら急な石段を担ぎ手達が神輿担ぎ棒を抱えて必死にジワリと降りてくる
瀬田玉川神社。
渡御日:
平成19年10月21日 (毎年)
世田谷区瀬田4-11。
五色の祭礼旗がたなびく社殿には鉄棒を持った警護番が立ち、 神楽殿では瀬田囃子が奏でられ参拝者や担ぎ手達を迎え例大祭を盛り上げています。
瀬田玉川神社の宮神輿。
神楽殿前に鎮座する御太鼓と宮神輿は共に大正15年建造浅草の宮本重義の製作。
台座は三尺弱ですが台座と胴柱には見事な深彫り木彫が取り付けられています。
宮出しの石段下ろし
宮出しのため社殿の石囲い越えに向かう
社殿に渡御挨拶後いよいよ石段下ろし始まる
滑り止め綱引役が踏ん張り神輿下ろし
二段階めの本格石段下ろしに神輿進入
差し上げ担ぎでなく全員が棒抱えで
踏ん張れ!あと少し後少し!の声が響く
宮神輿の渡御
石段下ろしの宮出し終えてやっと渡御出立つ
またもや難関の急坂登りを神輿押上て
やっと裏参道入口の頂上に辿り着いた宮神輿
環八と246号の瀬田交差点を悠然と横断
環八通りを南下していく宮神輿
通過車輌を横にお神酒所で木が入る
瀬田玉川神社は高台にあるように武蔵野台地の南縁部であり、 神社周辺の氏子町内はアップダウンの激しい地域です。 担ぎ手達の体力消耗も激しく15もの友好同好会が応援しているのです。
世田谷と瀬田: 世田ヶ谷・世太ヶ谷・瀬田ヶ谷・瀬田茅・瀬田萱などと書いた。 世田谷は「瀬田の谷地」をいい「世田ヶ谷戸」を略した地名です。
瀬田玉川神社 「例大祭」
平成18年10月 (毎年)
瀬田玉川神社。創建は古くて室町時代末期の永禄年間(1558〜1570)と伝えられ当初は御嶽神社と称していた。 寛永3年(1626)に在郷の長崎家が社殿を現在地に造営し明治以降瀬田玉川神社と改称する。 社殿前側の狛犬は溝の口の石工内藤慶雲作で明治32年4月に奉納。
神幸祭H18年10月15日。東京都世田谷区瀬田4-11。
宮神輿の渡御
氏子地域に後からできた交通の要所である246号と環状八号を渡御する
瀬田玉川神社の宮神輿の渡御には大太鼓と高張提灯が先導する。 この大太鼓氏子役員の撥(ばち)捌きは見事で撥2本を使いど〜ん・ど〜んと町会の隅々まで響き渡るのです。 並みの撥捌きではトン・と〜んとしか鳴りません。
引き上げ押上の宮入
担ぎ手は担ぎ棒を抱えロープで引揚
狭い石段を担ぎ手達が必死に押し上
神輿最後尾は灯篭を避ける持ち上げ
秋の日は釣瓶落としの夕闇の中で 急勾配45度の40数段の石段参道での圧巻の神輿の担ぎ上げです。 宮出し宮入共に急勾配の参道を使い緩やかな迂回路は決して使わない伝統を今も継承しているのです。
瀬田玉川神社 町内神輿
玉川町会神輿が夕闇のなか駅前と玉川高島屋前を巡行して 威勢よく疲れも見せずに魂振りを続けてお神酒所前に帰還です。
担ぎ手や介添役そして先導役まで全てが女性軍の女神輿。 担ぐ喜びを振り撒きながら魂振りも見事な担ぎぶりで大人神輿を先導する。
神輿との別れを惜しむのか激しい魂振り
後退りを繰り返す魂振りに歓喜と拍手
止めない担ぎ手達にヤット拍子木が鳴る
玉川町会神輿はこのまま何時までも担ぎ続けて居たいとばかりに、 氏子総代の拍子木台を神輿が押しのける都度歓声と拍手とが沸き起こる。 夕闇の246号線高架下のお神酒所は神輿と担ぎ手と観衆のまさに熱気のるつぼです。
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