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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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瀬田玉川神社 平成22年 10月 (毎年) |
神輿データ: 祭神: 大己貴命・少彦名命 台座:三尺(91)建造年度:大正15年 製作者:
浅草・宮本重義 特記: 延軒屋根 勾欄造り 急階段の参道での宮出しと夕闇での宮入が圧巻 |
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神楽殿で奏でる瀬田囃子に送られて宮出しのために本殿に担ぎだされる宮神輿 |
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瀬田玉川神社例祭
'10.10.17.(日曜) 宮出し12時〜宮入17時。
大太鼓と子供神輿は(土曜)瀬田二丁目と三丁目。
(日曜)は瀬田五丁目と玉川台二丁目を渡御です。
氏子区域広いため宮神輿が渡御できぬ区域を巡行。
東京都世田谷区瀬田4-11-31。 |
特殊加工POP |
境内の高台に建つ本殿 |
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旧社名の「御嶽神社」は戦国時代の永禄年中(1558〜1570)に、長崎四郎右衛門重高が
この村の下屋敷に勧請し、寛永3年(1626)、瀧ヶ谷に長崎四郎右衛門嘉国が寄付をして遷宮をした。
(長崎氏はかつて北条氏の家臣としてこのあたり一帯を領有していた瀬田城の城主で、
北条氏が亡ぶと江戸時代以降は帰農し、一帯の有力者だったと言われる)
また瀬田は北条氏時代は世田谷吉良氏の所領であったが、徳川氏江戸入城後は幕府の直轄地(天領)となり、
寛永10年(1633)井伊直孝の領地となって明治維新に及ぶ。 |
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神楽殿前からの担ぎ出し |
高台の本殿玉垣越えの押し上げ |
本殿前での神輿揉み |
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本殿から鳥居下へ下り |
急石段を降り出す |
足元見ながら慎重に抱え下ろす |
本殿前で担ぎ棒の下に参道手すりの滑り用の丸太横棒と滑落防止ロープ張りとを急遽取り付けて、
宮出しの難所の石段下りに取りかかるが、参道幅狭く担ぎ手の人数に制限がある。
足元気にしながらジワリ下りてくる。 |
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坂道を喘ぎあえぎ登ってくる |
高台へは今一歩の住宅街に入る |
背後では裏参道の屋台がビッシリ |
瀬田は高台にあり、その先端の西の中腹に瀬田玉川神社があるため、
氏子区域には一度坂道を登るのです。
高台から望む多摩川は風光明美で昔から慕われているが、
神輿担ぎには体力いる宮出し渡御です。 |
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大空閣寺の修験者山伏に見える守護する様な睨み |
車輛を止めた幹線の246号線を悠然と渡御する |
世田谷の由来: 「せたかい」「せたかえ」ともいい、世田ヶ谷・世太ヶ谷・瀬田ヶ谷・瀬田茅・
瀬田萱などに書いた。世田谷は「瀬田の谷地」をいい、「世田ヶ谷戸」を略したものだが・・・
瀬田の由来: 現在の瀬田の地は谷沢川と谷戸川の間の高台で谷間はない。
世田谷区玉川はかつては神奈川県高津村大字諏訪河原です。
これは多摩川の蛇行との関係で東京都と神奈川県の境には変遷があり、
一つの土地が北岸になったり南岸になったり、時には川中に呑み込まれることもあった。
であれば瀬は川淵の浅瀬をいうから多摩川の川原に開いた水田の意か? 地名としては理に適っている。 |
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