歴史の 浪漫街道  お江戸の神輿  日比谷神社は移転で最後の大祭。初夏の日差しの中、氏子で繰り広げる。
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    日比谷神社 大祭 平成19年5月  (隔年)

狭い境内でお別れの連合神輿揉み。'07.05.12.
社殿や氏子町会や神輿は小さいが神社移転のため最後のお別れで熱気は何所にも負けぬ

鳥居を潜るとすぐに日比谷神社の細長い社殿。07.05.12. 素朴な日比谷神社大祭ポスター。07.05.12.   新橋日比谷神社の大祭。 平成19年5月12日 (土曜日)
日比谷神社は新橋烏森の飲食店街の外れにこじんまりと佇んでいる。 新橋で在りながら日比谷と称するのは 慶長年間に江戸城の日比谷御門造営にともない氏子とともに この地に移設させられた為である。 この社殿から神輿(宮神輿はない)が出るのは今年で最後。 アメリカ道路の着工により社殿が移転のため。 大祭は烏森神社と交互に隔年で行われる。
東京都港区新橋4-13-9。 (新社殿は東新橋2丁目1-1)

アメリカ道路: 環状第二号線新橋汐留・虎ノ門地区第二種市街地再開発事業。 新橋から虎ノ門まで道路をつくり大部分が完全地下トンネル。
1946年に石川栄耀(1893〜 1955。名古屋都市計画の基礎を築き、 東京の戦災復興計画および地方計画の実現に尽力したほか、新宿歌舞伎町や麻布十番では広場を計画、 「歌舞伎町」の命名者としても知られている都市計画家) による東京都戦災復興都市計画街路の一つで別名マッカーサー道路で GHQは計画立案に全く絡んでいないが、戦後いつの間にか「マッカーサー道路」 という名前で呼ばれるようになった。恐らく、幅員100mという日本離れしたスケールや、 広幅員道路がほとんど存在しない市街地を真っ直ぐ貫いて新道を作るという強引さから、 「こんな無茶なものはGHQが計画したのだ」と誤解されたのではないかと思われる。
 



日比谷神社には宮神輿はなく町会神輿の2基が大祭の主役です。 新橋五丁目町会の神輿が巡行です。神社鳥居前で差し上げご挨拶そして社務所へ。  

連合渡御のため狭い社務所前で隊列を作る。07.05.12. 新橋四丁目町会神輿を先頭に連合渡御の出立つ。07.05.12. 狭い飲食店街を巡行です。07.05.12.
社務所前で赤房の新四神輿からの隊列作り 赤房の新橋四丁目町会神輿から巡行 其の後を青房の新橋五丁目町会神輿が続く

社務所に待機の赤房の新橋四丁目町会の神輿を先頭に新橋五丁目神輿が続き2基の連合巡行です。 神社から新橋烏森の飲食店街を巡行するのです。  

新橋西口烏森飲食店街を巡行する路地中から新橋汐留の高層ビル群が顔を覗かせる。 大都会の飲食店街のど真中で執り行われる大祭ですが素朴な祭で新橋烏森神社との2年に一度の輪番大祭です。 前日の宵宮(11日金曜日)は週末の一献頂いた心地よきサラリーマン達の喝采を浴びて なかなか賑やかな巡行だとか。   新橋汐留の高層ビルが路地中から垣間見る。07.05.12. JR新橋駅ホームから新橋五丁目町会神輿が見える。07.05.12.


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