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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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羽田神社 大神輿渡御 平成19年7月 (不定期 中神輿は毎年) |
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悠然と担がれて渡御するが担ぎ手の表情は大神輿と太い担ぎ棒の重さに我慢の担ぎ |
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その歴史は鎌倉時代に遡り、今から800年ほど前、
当地の領主・行方与次郎が牛頭天王を祀ったことに始まるという。
江戸時代には徳川家・島津家・藤堂家などが篤く崇敬した。
例大祭:07.07.29.(日曜)毎年。
東京都大田区本羽田三丁目9−12。 |
羽田空港を含む羽田地域の総鎮守。もとは隣接(境内の北に隣接)
する常栄山自性院の牛頭天王社であった。
明治元年(1868)神仏分離令により自性院から独立し、八雲神社と称した。
さらに明治40年(1907)羽田神社と改称した。 |
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12年ぶり渡御の七尺七寸の大屋根の大神輿 |
四尺の台座の分厚さと異様に太い縦棒 |
毎年渡御の中神輿が今年は神輿庫で鎮座 |
今年は近隣の大師橋完成で12年ぶりに渡御の金色に輝く大神輿。
台座四尺、屋根巾七尺七寸、高さ九尺五寸、縦棒25尺、横棒12尺の見事な神輿です。
神輿を左右九十度にたおし、これを交互に繰り返す、勇壮で独特な担ぎ方である
通称「ヨコタ担ぎ」を大神輿は横棒を付けずに行う。
宮神輿は通年8時宮出し、全町渡御して12時半宮入です。 |
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羽田神社例祭、通称「羽田まつり」 宮神輿・町内神輿共に、
荒波に揺れる舟のように神輿を左右九十度に倒して大きく振る「ヨコタ担ぎ」によって渡御する。
「ヨコタでおいで、いちにのさん」の掛け声を合図に「ヨコタ担ぎ」が始まります。
日曜午後から行われる町内神輿連合渡御(神輿パレード)
では12町会12基の神輿が3時間近くヨコタで練り歩く。
猟師町の雰囲気を色濃く映し出す祭禮で、弁天橋の欄干には無数の大漁旗が掲げられます。 |
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羽田囃子で渡御行列を先導 |
道案内の猿田彦は一本高下駄 |
幟や神社旗と共に宮司が馬上姿で続く |
12年振りに渡御復活の黄金色の大神輿。三ッ巴紋の大屋根と担ぎ棒が異様に太い縦棒と横棒の白木各4本。
まさに大神輿の風格です。やがて見せ場のヨコタ担ぎだと担ぎ手達も嬉しそうです。 |
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笛の合図でしゃがみ込む |
そして押し上げる |
またしゃがみ込む |
大神輿のヨコタ担ぎが始まりました。やるぞの掛け声で前棒の担ぎ手達は肩を入れ替えて神輿に向き合う。
笛の合図で片方の担ぎ手達がしゃがみ込む。次に押し上げる、又沈み込む。
大神輿ゆえか五〜六回の繰り返しで止めの笛の合図で周辺からは大拍手です。
各お神酒所でヨコタ担ぎを披露しての渡御です。 |
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見せ場で猿田彦神の天狗の舞が |
高下駄を履き捨て |
真剣を振りかざし |
やがて真剣鞘に収めると大拍手 |
猿田彦神は渡御の神輿を道案内する神ですが、
羽田神社では巡行する道の邪気を祓い清め行列を守護する天狗の舞を行うのです。 |
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穴守稲荷駅前商店街を所狭しと巡行 |
環八通りに出てきた大神輿が甦る |
羽田空港・弁天橋方面へと威勢よく渡御 |
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大神輿が穴守稲荷駅前商店街の軒下ギリギリを巡行です。
そして環八通りにでると多くの担ぎ手達を引き連れて悠然と羽田空港・弁天橋方面へと渡御です。 |
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