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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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羽田神社 平成24年 7月 (中神輿は毎年・大神輿は5年毎) |
神輿データ: 祭神:須佐之男尊・稲田姫尊 台座:四尺(120)建造年度:戦後 製作者:宮師安田兼吉
特記: 500貫大神輿 金色の延軒屋根・勾欄造り 4本の縦棒で神輿を左右に振る羽田担ぎ |
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照りつける強烈な日差しの仲羽商店街を金色に輝く大神輿が悠然と担がれてくる |
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羽田神社例祭 '12.07.29.(日曜) 宮神輿宮出し8時〜宮入12時半 一之宮(大神輿) 5年振り渡御
町会神輿連合渡御 会場弁天橋通り 15時〜18時 大田区本羽田3-9 |
昭和63年建造の社殿 |
羽田例大祭 |
午後の町会連合渡御 |
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神社は鎌倉時代、隣接する常栄山自性院に当地の領主・行方(なめかた)与次郎が牛頭天王を祀ったことに始まる。
天王さんと親しまれ、江戸時代には徳川家・島津家・藤堂家などが篤く崇敬した。
明治元年(1868)神仏分離令により自性院から独立し、八雲神社と称した。さらに明治40年(1907)羽田神社と改称。 |
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大神輿の担ぎ棒は四天棒 |
仲羽高速道高架下でのヨコタ担ぎ |
四天棒精一杯の最大の傾き |
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穴守稲荷鳥居前での御披露 |
息合わせしゃがみ沈み込む |
その反動で一気に押し戻す |
通称「羽田まつり」 宮神輿の中神輿は町内神輿と共に、
荒波に揺れる舟のように神輿を左右九十度に倒して大きく振る「ヨコタ担ぎ」によって渡御する。
「ヨコタでおいで、いちにのさん」の掛け声を合図に「ヨコタ担ぎ」が始まるが、
台座四尺、屋根幅七尺七寸の大神輿は四天棒の大神輿故にそれが出来ない。 |
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渡御列が弁天橋通りから大東町会に入り込む |
路地中へ入り込むため大神輿も大きく旋回 |
猟師町の雰囲気を色濃く映し出す祭禮で、弁天橋の左右の欄干には無数の大漁旗が掲げられます。
「ワッセ ワッセ」の掛け声とともに進み「ヨコタでおいで、いちにのさん」で大神輿の「ヨコタ担ぎ」です。 |
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炎天下に照らされた上り坂の弁天橋通りを担ぎ手達が鼓舞しあって渡御してくる |
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挟まれるな横棒に気を付けろ |
マイクからは電柱に注意しろ |
台車係に曲がるぞ大廻りしろ |
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羽田の猟師町の雰囲気の稲荷前商店街で大神輿のヨコタ担ぎをゆったりと繰り返す |
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鳳輦庫で佇む鳳輦は何時渡御が行われるのだろうか。飾り鳳輦なのか。
大神輿の留守を預かる中神輿である二之宮は古風に見えるが、戦後の昭和54年建造なのです。
二之宮は荒波に揺れる舟のように神輿を左右九十度に倒して大きく振るヨコタ担ぎを披露する。 |
鳳輦が鳳輦庫で佇む |
二天棒で担ぐ中神輿の二之宮 |
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羽田神社がある本羽田は羽田村の本村・羽田猟師町である。
本村は羽田村当時の本村の名残り、過去の栄光を残すため。
羽田神社御旅所は本羽田1丁目29番にある小社。境内というか敷地に「羽田神社」と刻んだ石製円柱・
鳥居建立碑・耕地整理記念碑がある。羽田神社発祥の地で、境外飛地として羽田神社が管理している。 |
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