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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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日枝神社 「山王祭り」 平成18年6月 (隔年) |
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山王日枝神社。武蔵野開拓の祖神・
江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀りさらに文明10年(1478)
太田道灌が江戸の地を相して築城するにあたり鎮護の神とし、天正18年(1590)
徳川家康が江戸城を居城とするに至って「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」
又江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」とした。
神使「御神猿」は魔が去る「まさる」と呼ばれ厄除・魔除・
農業の守護神として「さるまさる」といわれ神門及び向拝下に夫婦猿の像がある。
神幸祭。6月9日(金曜)東京都千代田区永田町2丁目10-5。 |
山王: 慶応四年(明治元年)六月以降、日枝神社の称号を用いる。
古くから「日吉山王社」「日吉山王大権現社」「江戸山王大権現」「麹町山王」ひろく「山王社」と称され、
氏子にとっては「お山」であり、一般には常に「山王さん」の名で親しまれた。
祭神は大山咋神(おほやまくひのかみ)で「咋」は「主」という意味で、大山の主であると共に広く地主神として崇められ、
山・水を司り、大地を支配し万物の成長発展・産業万般の生成化育を守護し神徳は広大無辺で、
古事記で近江国(今の滋賀県)の日枝山(比叡山)に鎮まったのが始まり。 |
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先頭の白馬の御神馬 |
先導役の神職 |
ドシャ降りにも負けぬ舞姫と童女たち |
濃紺が鮮やかな氏子青年 |
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日枝神社の神幸祭の列は優雅な格調高い王朝装束に威儀を正した総代役員や氏子青年に供奉されながら、
氏子区域を巡幸します。 供奉員総勢約500人・御列は600Mに及びます。 |
輿の鳳輦(ほうれん)引き手達 |
宮神輿の担ぎ手達 |
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神幸祭の行列が皇居に着くと即梅雨あめに煙る皇居坂下門を潜り内裏に参内です。
神幸祭多しといえども皇居に参賀して神符献上するのは日枝神社のみでしょう。
それほど江戸城そして皇居とのつながりは深いのです。 |
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梅雨あめに煙る内堀蛤濠と西下門 |
西下門から参内する宮司と神職達 |
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氏子総代も駐輦祭のお祓い |
巫女による駐輦祭の舞 |
駐輦祭奉納 |
日枝神社神幸祭で一番重要な駐輦祭です。皇居西下門下で執り行なわれる駐輦祭。
神職や巫女そして氏子総代が梅雨の風雨の中古式に則り繰り広げる。 |
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扇形鳳輦(編集者命名) |
飛翔鳳輦(編集者命名) |
宮神輿 |
まことに残念。風雨の渡御とはいえ鳳輦2基と宮神輿1基に雨カッパではなにも見えずです。
(次回の神幸祭までのお楽しみでしょうか) |
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駐輦祭終えて出立の拍子木が鳴る |
神幸祭の隊列を整えて巡行開始 |
御幸通りを日本橋日枝神社へ巡行 |
如何なる状況下でも神幸祭は執り行われるのです。
古の先人達の培ってきた仕来たりを現在の継承者は途切れさせることは出来ない。
それが民の継承する民衆文化なのです。 |
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