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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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葛西神社 二之宮神輿 平成18年9月 (二之宮3年毎 一之宮6年毎) |
神輿データ 祭神: 経津主命 台座: 不明 建造年度: 安政年間 製作者: 不明
特記: 二之宮: 延軒屋根 勾欄造り 胴の木彫が見事な神輿 一之宮と3年ごと交互渡御 |
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金町駅前商店街からの中央町会の氏子総動員での二之宮神輿の渡御再開です |
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創建の年代は古く平安時代の末期、後鳥羽天皇の元暦二年(1185)領主葛西三郎清重の篤信により上葛西、
下葛西あわせて三十三郷の総鎮守として創られる。
神幸祭。9月17日(日曜)
東京都葛飾区東金町6−10−5。 |
神楽殿で奉納される葛西囃子は江戸囃子の源流として東京都の無形民俗文化財です。
葛西囃子: 享保年間(1716〜36)の初め葛西神社の神官が教えた「和歌囃子」
が始まりと伝えられており、あっという間に祭り囃子として葛西から江戸市中に広まった。
葛西囃子の構成は締太鼓2・大太鼓・笛・鉦の五人編成で伝承曲と即興との演奏です。 |
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宮神輿の一之宮は台座が4尺4寸の千貫神輿といわれ神輿補修の時に天保9年(1838)に造られたことが判明した。
一之宮神輿は六年に一度の葛西神社例大祭の平成15年において渡御し(次回渡御は平成21年)
宮神輿の二之宮神輿(安政年間に建造)は今年が三年に一度の渡御をしました。
二基とも貴重な神輿であり宝物殿の中の大型ガラスケースで大切に保管されている。 |
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ガラス内の一之宮 |
壮麗で重量感がある |
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氏子中央町会に担がれて渡御 |
氏子末広町内の路地中までも |
水戸街道を氏子南町会が担ぐ |
宮神輿の二之宮が宮出しから宮入までの12時間たっぷり時間を掛けての渡御です。
巡行受け持ち町会の担ぎ手により商店街から氏子町内の隅々まで隈なく二之宮が渡御するのです。
これぞ神幸祭です。 |
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水戸街道高架下を威勢よい掛け声で南町会がブレながらも渡御してくる |
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町内神輿の「中央」と「西」
それぞれ息のあった担ぎ手達で掛け声も魂振りも見事。
西は屋根も駒札も黒ずくめの神輿です。 |
町内神輿の「常磐」と「三和」
常磐は町内神輿の中でもなかなか見応えある神輿です。
三和は唐破風屋根の神輿です。 |
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千鳥破風の銭湯金町湯の前を二之宮 |
担ぎ手の目線の先には何が?この笑顔 |
甍の銭湯の前を渡御する宮神輿。これぞお江戸の御神輿まさに元禄時代です。
必死の形相で大神輿を担ぐ勇猛果敢な担ぎ手たちを見れば此方までが血騒ぎ肉踊ります。
写真の担ぎ手達は喧騒の中で何を見て微笑んだのだろうか?
担ぎ手も見物客も一つの輪になる。
これも氏子町内のお江戸下町の和なのです。 |
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金町の由来: 正中二年(1325)の「関東下知状」に見え、
往古この辺りの奥州古街道に面して町屋(商業地)があり、「金町屋」と呼び「金町郷」と称した。
「金」は「曲(かね)」であり蛇行する川の曲渕(瀬)をいう。
江戸川にちなむものと考えられる。町屋があったのは江戸川に接する金町村字小金町だといわれ対岸の松戸とともに栄えた。 |
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