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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿 |
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京の御霊神社 御霊祭り 平成19年5月 |
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鳴閂を激しくシャンシャンと打ち鳴らし時に差し上げる御霊祭の雅やかな神輿は連綿と受け継がれ渡御する |
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御霊神社の
例祭の御霊祭は明治までは旧暦の8月18日に行われていたが、
現在では5月18日(新暦)に行われている。
御霊祭は西暦863年から行われている京都で最も古い祭りと言われる。 |
御霊神社。京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495番地。
平安遷都にあたり延暦13年(794)に桓武天皇が平安京の守り神として早良親王(崇道天皇)
の神霊を祀ったのが創建。災いをなくそうという御霊信仰が盛んになりそのお祭りを御霊会(ごりょうえ)といい、
京都の夏祭りの多くは御霊会でその発祥の神社である。
応仁の乱の発端の地でこの上御霊神社で畠山政長と畠山義就のいとこ同士の衝突に始まり、
東軍と西軍に二分された戦乱が京都の町を焼き尽くすことになる。
この応仁の乱の西軍の陣地となったことから「西陣」との地名が残る。 |
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鳥飛び出す今出川口神輿 |
独特の神輿屋根の末広神輿 |
鳥羽ばたく小山神輿 |
今出川口神輿の瓔珞 |
祭礼行列は先頭を触れ太鼓、剣鉾、八乙女行列、御神宝、牛舎、そして神輿です。
神輿巡行の順番は、いつも最後に出発するのが御霊の乗る神輿(末広)であり、
後の二基(小山、今出川口)はその年によって先頭が違います。
コースも1年毎に神社の北周りと南周りとに入れ換わります。 |
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祭礼行列の中には龍鉾が含まれている。
何気なく立ち寄った上京区烏丸今出川西入る町家の表座敷に飾られた龍鉾が無人のまま展示されていた。
永享3年(1431)後花園天皇から寄進されたと明記されている。
さりげなく町家の座敷に公開とは。すぐ横の武者小路町には剣鉾の蓬莱鉾がある。
さすがは都、彼方此方に歴史的遺産がある。
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小山神輿。文禄元年(1592)の建造です。
瓔珞は菊文様と葵の葉が連なり
神輿の胴の前後に鳥居が付かず変わりに羽を広げた鳩(?)が左右の胴には寅が嵌め込まれている。
囲垣は付けない。 |
今出川口神輿。元和五年(1619)建造です。
瓔珞は菊文様と葵の葉が連なり
神輿の胴の前後に鳥居が付かず変わりに飛び出す鳩(?)が左右の胴には龍が嵌め込まれている。
囲垣は付けない。 |
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末広神輿。御霊神輿で建造年代は不明です。
神輿の胴の前後に鳥居が付きます。唐破風に屋根は見事な神明造りです。
飾紐には異様に大きい鈴が12個付いている。
御霊を人目に触れさせぬためか、紅色布が胴を覆い隠している。 |
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渡御につく末広神輿が舞殿前で担がれる |
参道で差し上げで渡御のご挨拶 |
南門を潜り氏子町会へいざ巡行です |
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鳴閂担ぎ手が跳ねる様に担ぎ |
反動で鳴閂が跳ね上がる |
鳴閂が担ぎ棒に当たりシャン |
鳴閂(なりかん)は担ぎ棒の前後四箇所に取り付けられている。
鳴閂担ぎ手は前後で8人。飛び跳ねるように神輿を前後に振るのです。するとシャンシャンと鳴り響く。
体力的にきつい担ぎ方で一回の担ぎ時間はせいぜい2〜3分で全員肩首に大きな担ぎこぶが出来ている。
掛け声も独特なのです。小山神輿は「よいさ〜あ・よいさあ・シャン・シャン」今出川口神輿は
「よいしょ〜・よいしょ・シャン・シャン」末広神輿は「えらいやっちゃ〜・えらいやっちゃ・シャン・シャン」
音の良し悪しが鳴閂担ぎ手の評価なのです。
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鳴閂をシャンシャンと鳴らし神輿が交差点内に入り込んでくる |
指揮者の合図と共に一気呵成に神輿の差し上げです |
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ブレルことなく二周目の神輿差し上げです |
台車に神輿を乗せて満足気に交差点内から巡行路に戻る |
雅やかな神輿たちの巡行ですが、何といっても勇壮で豪快なのが交差点での神輿廻しです。
東西南北の車輌を通行止めにして、神輿を担ぎ入れ鳴閂を激しく鳴らしながら大回りして、
神輿差し上げを行う。これを二周り繰り返すのです。
交通事情もあり交差点の氏子町会神輿の一基のみが行うのです。 |
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小山神輿の差し上げ |
今出川口神輿の差し上げ |
末広神輿の差し上げ |
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夕闇迫る18時。御所の北側の今出川烏丸から今出川河原町を目指し先頭の小山神輿が巡行です。
御霊神社に定刻に還御するには遠く及びません。 |
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