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無名の民達の歴史的遺産 |
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地蔵達の群像/坐像地蔵 |
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八王子堀の内 龍生寺 |
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小野路から平山城址に続く古道に面した里山に包まれた龍生寺の静寂のなかに佇む地蔵達の群像。
山門脇の阿弥陀堂を囲むように34体の地蔵達。
参道を挟み向かい側に坐像地蔵とその背後には信州高遠の石工による3mの寛政8年
(1796)建立の形の整った宝篋印塔がある。
この坐像地蔵は古のときから微笑みかけるように静かに古道の行き来する人々を見守っていたのでしょう。
八王子市堀の内618。
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龍生寺参道脇の阿弥陀堂前のこの均整とれた安定感がありドッシリと腰を据え柔和な微笑み浮かべる
地蔵顔です。地蔵の台座も浮き彫りで飾られておりまさにこれぞ坐像地蔵でしょう。
寛政12年(1800)の建立。 |
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龍生寺阿弥陀堂の坐像地蔵たち。写真左から失礼ながら勝手な愛称を付けて含み笑い地蔵顔?は明治14年(1881)の建立
ひねもす地蔵顔?と悟り地蔵顔?の坐像地蔵は天明2年(1782)の建立です。 |
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町田相原鍛冶谷 |
町田市相原鍛冶谷の六地蔵菩薩含め全てが坐像地蔵の建立は珍しい。
坐像地蔵たちは時代とともに移動や再三の道路取り付け工事での移転で地蔵群の台座は劣化や損傷のために全て取り替えられたが、
辛うじて文化14年(1817)の刻印が残されていた。
大戸囃子で有名な町田市大戸鍛冶谷3360。 |
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町田街道 中村地蔵群 |
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町田街道の中村地蔵群と坐像地蔵。13体の地蔵の内8体が風化のため近年再造立されている。
中央に鎮座する坐像地蔵は宝暦6年(1756)建立で悠久の時を刻んだ亀裂にもこの穏やかな地蔵顔に感動です。
東京都町田市上小山田町。 |
その他の地蔵達は明和4年(1767)1体・明和5年(1768)5体・安永9年(1780)2体・
天明2年(1782)2体・天明3年(1783)2体までの建立です。 |
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町田街道 円林寺 |
町田街道円林寺の坐像地蔵。車輌の流れが激しい町田街道に向き合い参道入口にドッシリと鎮座する地蔵です。
この安定感そして重量感にはホットさせられますが残念ながら建立刻印は風化のために判読できない。
境内には蓮の博士で有名な大賀一郎博士の2000年ハスが育成されています。
町田市相原武蔵ヶ岡3731。 |
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町田街道 地蔵山行昌禅寺 |
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町田街道地蔵山行昌禅寺の坐像地蔵。刻印は文政**と不鮮明ですが文政年間の建立です。
地蔵顔は一部欠落したのか、補修されているがこのアンバランスがユニークな地蔵顔なのです。
そして珍しい片膝立てあぐら坐像です。 町田市相原町川島。 |
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町田街道 清水寺 |
町田街道清水寺の坐像地蔵。寒風のもとでは寒かろうと眼元まで深々と被された赤頭巾。
なんとも微笑ましい地蔵なのです。造立年代は刻印確認できず不明です。
町田市相原町701。清水寺の建立も文献無く不明。 |
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清水寺の急な石段を上れば町田市の有形文化財の嘉永3年(1850)
再建の全面龍の彫刻装飾を多用した観音堂や天保13年(1842)の鐘楼があります。 |
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関戸霞の関 熊野神社 |
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旧鎌倉街道の霞の関に佇む熊野神社 |
台座も見事な浮彫 |
癒し醸しだすふくよかな地蔵 |
多摩熊野神社は延徳3年(1489)旧関戸村と旧貝取村の境界に建立された。
鎌倉時代の建暦3年(1213)に旧鎌倉街道の要所として「霞の関」と呼ばれる関所(監視所)が置かれた。
熊野神社参道に添って霞の関南木戸柵跡が発見され昭和36年東京都の史跡に指定された。
鳥居の脇の坐像地蔵の建立は不明です。
多摩市関戸字霞の関1191。 |
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相模原橋本 香福禅寺 |
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橋本の香福禅寺の2体の坐像地蔵。
祠に収まった坐像地蔵(左側)は右手の錫杖と左手の如意宝珠が風雪で欠落していますが、
斜め横並びの六地蔵が寛延4年(1751)の造立であり同時代の建立でしょう。
右側のでんと構えた坐像地蔵は安政4年(1857)造立です。 神奈川県相模原市橋本5丁目39。 |
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小平天神 延命寺 |
小平延命寺の坐像地蔵。坐像地蔵は刻印あるも不鮮明で嘉永年代(1848〜)としか判読できない。
真言宗延命寺は小平の新田開発時に武蔵野国多摩郡中藤村(現武蔵村山中藤)から移住の数人の
農民達により村民の菩提寺にと享保18年(1733)に創建された。 東京都小平市天神町2296。
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八王子明神 福伝寺 |
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八王子福伝寺の坐像地蔵。
祠に納まり台座に乗った坐像は明治34年(1901)の建立ですが、地蔵顔の輪郭は風化により凹凸が無くなっている。
安栄山福傳寺は室町時代の天文年間に現在地 (当時は子安村と称した)に開創された。
八王子市明神町4-10-6。 |
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八王子初沢 大光寺と府中本宿墓地 |
高尾大光寺横路地の坐像。建立は寛保2年。
甲州街道川原宿への裏街道だったのでしょうか初沢川沿いにひっそりと佇む。
八王子市初沢町京王線大光寺踏切脇。 |
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府中本宿共同墓地の坐像。
隣の六地蔵は享保17年の建立です。小さな坐像で台座は無いが同年代と思われる。
府中市西府町3丁目3。 |
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谷中 観智院 |
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台東区谷中の観智院の地蔵。
なんとも穏やかなふくよかな地蔵顔なのです。
背面の壁が邪魔をして造立年代の刻印は判読できないが墨で書かれた建立説明板には大正10?年とか。
歩道の端に黒光りのスリムな常夜灯が往時の雰囲気をかもし出している。
この地蔵の前面には昭和時代建造の六地蔵がある。 東京都台東区谷中5丁目2。 |
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上野 開山堂 |
上野開山堂両大師の坐像地蔵。享保13年(1728)の建立です。
両大師とは、寛永寺の開山の祖である慈眼大師・天海と、
天台宗中興の祖である慈恵大師・良源の2人を祀っているので、両大師と表わす。
開山堂は天海僧正(安土桃山時代から江戸時代初期の天台宗の僧)の像を安置する堂として正保元年(1644)の創建です。
寛永20年(1643)108才で示寂(菩薩や高僧が死ぬこと)長寿の高僧なのです。
台東区上野公園14。 |
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隣接は旧寛永寺本坊表門ですが同じく天海僧正が江戸城鎮護のため上野忍岡に寺院を建立することを進言して
寛永2年(1625)東叡山寛永寺が創建された。なを日光廟の基本的構想を立て造営をも指導している。 |
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地蔵菩薩の基本は、頭は剃髪で右手に六輪のついた錫杖(しゃくじょう)
左手に如意宝珠(にょいほうじゅ)を
持ちます。何よりも地蔵菩薩信仰の象徴の赤い前垂れがない。以下の石造は阿弥陀如来菩薩でしょう。
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千駄木光源寺の坐像地蔵。宝永7年(1710)の建立。昭和20年の戦火で焼失した駒込大観音堂再建を記念して
観音堂と共に焼失した古木梅をと、樹齢300年の白梅「蓬莱梅」を榛名山から移植する。
梅の名称は旧町名の駒込蓬莱町から名付けられた。文京区向丘2丁目35。 |
東上野曹源寺通称かっぱ寺の坐像地蔵。嘉永4年(1851)の建立。
社務所の改築工事なのか地蔵は本殿の階段前にて仮に鎮座しているのですが他に安置場所なかったのか。
合羽橋道具街の地名発祥のお寺です。台東区松ヶ谷3丁目7。 |
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