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			無名の民達の歴史的遺産  | 
			
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	 懐かしき看板ポスター・復興期の昭和浪漫 | 
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	昭和21年以降の「味の素」創業者のイニシャルが上部に刻印された代理店看板。
	味の素の代理店看板の社名表示は昭和21年(1946)までは、味の素本舗蒲髢リ商店であった。
		味の素鰍ニ表示は昭和21年以降です。八王子市加島屋にて。 | 
		 
	  
	
	
  
     
	
		
			
			昭和22年(1947)以降東京銀座孔官堂の毎日香琺瑯看板。 
			昭和22年に東京都中央区銀座に本社を移転(これ以降東京銀座孔官堂と称したのでしょう)
			同時に堺市の老舗・鬼頭天薫堂から「毎日香」の商標権を譲り受ける。
			設立は昭和4年(1929)大阪の老舗線香メーカー・孔官堂の東京出張所として創業。
			昭和17年(1942)(株)東京孔官堂として独立。 
			昭和41年(1966)社名を(株)日本香堂に変更している。 青梅市住江町にて。 | 
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		昭和24年(1949)以降のヱスビー食品の琺瑯看板。
		大正12年(1923)日本で始めて純国産のカレー粉の製造を行い創業。
		昭和5年(1930)ヒドリ印を商標とし昭和6年(1931)には商標の太陽と鳥の頭文字のS&Bを併記して商標とした。
		其れまでの社名「日賀志屋」から昭和24年(1949)社名を商標で親しまれていたS&Bから現在のヱスビー食品鰍ニ変更した。
		看板のヱスビーカレイ粉の缶を拡大して見るとS&Bの背景には国会議事堂を使っています。
		他には殆ど使用例はありません。
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    昭和24年(1949)大卒初任給は4,220円でした。 
    湯川秀樹博士が日本人初のノーベル物理学賞を受賞する。 
    
    
	
		
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	 昭和27年(1952)にピースのパッケージがピース紺に一新された
	 日本専売公社時代のたばこ新ピースのポスター。米国の商業デザイナーのレイモンド・ローウイーにより
	 鳩がオリーブの葉をくわえたピース紺のパッケージになる。
	 時を経たのか不鮮明でモデルは松竹の吉田何某としか判読できず。
	 ピースは10本入りが昭和21年(1946)からの販売です。
	 50本入りは昭和24年(1949)の販売。愛煙家は缶ピースでした。20本入りが昭和40年(1965)からの販売です。
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       昭和28年(1953)の銭湯(東京都公衆浴場組合)の入浴料金表。 
       前年の昭和27年NHKラジオで「君の名は」が放送されると銭湯の女湯はなんとガラガラに
       なったとか。町では真知子巻きが大流行しました。左の昭和28年の入浴料金表に記載は 
       
       
       大人(12歳以上)15円。中人(小学生)12円。小人(5歳以下)6円。婦人髪洗料10円。 
       
       大人入浴料の推移。 
       大正10年 6銭。昭和20年 20銭。昭和25年 10円。昭和30年 15円。
       昭和40年 28円。 昭和50年 100円。昭和60年 260円。平成7年 360円。平成17年現在400円です。 | 
           
	
    	昭和28年(1953)国家公務員の大卒初任給は7,650円でした。 
    	昭和28年NHKが2月より人気番組になったジェスチャー、年末の紅白歌合戦を放送開始。 
	    力道山のプロレス放送で街頭テレビが大人気。市販の白黒テレビは275,000円。  
	    
    
	
		
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		台東区谷中1丁目、水上酒本店軒下の公衆赤電話看板。公衆電話の赤い電話は昭和28年(1953)から
		昭和46年(1971)まで町々の店頭に設置されていた。現在ではもう無いひらがなの「でんわ、でんぽう」看板。
		春になると「サクラ・サク」の電報を多くの受験生達が故郷に送ったことでしょう。
		懐かしや当時の赤電話は昭和28年式と昭和30年式でした。
			IT時代の今、電話。電報。は死語となっているのでしょうか。 | 
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     昭和30年(1955)の大卒初任給は10,730円でした。 
     憧れの最高級乗用車のトヨペット・初代クラウンRS型1453cc(ドアは珍しい観音開き式)は何と1,015,000円です。  
     
     
	
		
     
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     昭和32年のビールの東京小売価格表。ニッポンビールは旧大日本麦酒で、昭和24年(1949)から
     昭和39年まで販売してサッポロビールと統合する。タカラビールは宝酒造が昭和32年(1957)から
     昭和42年まで販売。スタウトビールは冬でも呑めるビールとして販売した濃厚なビール。
  
     
          昭和32年(1957)驚きました。ソ連が宇宙へスプートニク1号を打ち上げに成功。
          私はまだ飛行機にも乗っていなかったのに。 |  
                 
              
     
 
  
              
     
	
		
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			昭和33年(1958)以降のボリショイ菅公の琺瑯看板。 
			「菅公」は岡山県倉敷市児島が地盤の尾崎商事のブランドです。
			倉敷は全国の学生服の約7割を生産する大生産地で「菅公」というブランドは「菅原道真公」に因んでいる。
			「ボリショイ」 ロシア国立サーカス団で昭和33年(1958)
			ボリショイサーカス日本初公演以降大人気となり人気にあやかって付けられたと思われる。
			この学生服は昭和35年大ヒットする。青梅市沢井JR軍畑駅裏にて。 | 
		 
	   
	
     
     昭和33年(1958)大卒初任給は13,500円でした。 
     昭和33年(1958)軽乗用車のスバル360が絶大な人気を得ました。425,000円でした。 
     この年、本州と九州を結ぶ関門国道トンネルが開通しました。  
        
     
	
		
	
    左のキッコーマン「醤油」の表示は、昭和39年(1964)から昭和54年(1979)
    の社名変更まで使用された琺瑯鉄板看板。 
    中央の「亀甲萬」のキッコーマン商標は大正6年(1917)に定められ
    全国統一されたのは昭和15年(1940)。 
    イカリソースの創業は明治28年(1896)で山城屋から社名を昭和26年(1951)に変更。
    写真の看板は昭和15年(1940)から昭和56年(1981)まで使用された。
    でも老舗の会社更生法の申請は残念です。 | 
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    昭和35年(1960)の大卒初任給は15,000円でした。 
    全学連主流派が国会内に乱入。アイゼンハワー米大統領の訪日中止。  
    
   
	 
    
	
		
		
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		昭和36年(1961)小林旭・浅丘ルリ子の「渡り鳥シリーズ」第6作。
		競演は浅丘ルリ子(全作品に出演)、宍戸錠。
		日活アクションの渡り鳥シリーズの映画は昭和34年(1959)から
		小林旭・浅丘ルリ子のコンビで昭和37年(1962)まで9作品が作られた。
		このシリーズは「南国土佐を後にして」の大ヒットで生れ全国を一世風靡した映画でした。
		懐かしや、カラー映画表示は「天然色」。娯楽と言えば映画の時代でした。
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	昭和36年(1961)大卒初任給は16,500円でした。 
	コーヒールンバ、君恋し、銀座の恋の物語、上を向いて歩こうがヒットする。
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     昭和36年(1961)の懐かしきトリスウイスキーの「トリスを飲んでハワイへ行こう」
     11PMのコマーシャル映像が一世を風靡した。ハワイには為替自由化後に招待とある。
     大瓶が330円、ポケット瓶は120円、安い?。この時代アンクルトリスキャラクターの
     企業名が「洋酒の寿屋」と記載されている。 | 
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			「アンクルトリス」生みの親は寿屋(現サントリー)宣伝部在籍の
			イラスト柳原良平とエッセイ山口瞳。そして「洋酒天国」の開高健でした。
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	 ご存知ですか。幕末の為替相場は1ドル=1両、明治時代は1ドル=1円、
	 そして戦後はGHQのマッカーサーが円は360度だから、360円だ。
	 「本当にこうして決まった?」海外観光渡航の自由化には「沖縄」も含まれていた。
         この時代は昭和35年(1960)の安保闘争から、新幹線、高速道建設ラッシュの
         昭和39年(1964)東京オリンピックまでの激動の時代であった。 | 
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	 昭和30年(1955)新東宝。美空ひばり主演五所平之助監督。
	 明治時代の吉原界隈の少女の恋物語。 樋口一葉原作。 | 
	 
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	 昭和36年(1961)東宝映画。フランキー堺主演本田猪四郎監督。
	 ザピーナツの「モス ラの歌」があまりにも有名。 | 
	 
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	 昭和37年(1962)東宝映画。三船 敏郎主演黒澤明監督。
	 映像のリアりティーに感嘆。共演の仲代達矢が光っていた。 | 
		 
	  
  
       
   
   
		
	
	   
	  
		
			 
			 
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			懐かしや昔と変わらぬ水玉模様の包装紙。黒人マーク・黒人差別だと
			昭和64年(1989)以降使用されず。 | 
		   
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	 昭和30年代後半のよく飲んでました初恋の味カルピスのポスター。
	 創業者・三島海雲がモンゴルで体験した発酵酸乳を商品化して大正8年(1919)に販売されたが
     時期が七夕で包装紙を水玉模様に。甘くて酸っぱいカルピスは「初恋の味」と
     キャッチフレーズが一世を風靡した。 | 
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	 昭和30年代後半のポスター達「赤玉ポートワイン」と「ノザキのコンビーフン」 
     赤玉ポートワインは大正11年(1922)から昭和48年(1973)まで販売。
     その寿屋は昭和38年(1963)サントリーに社名変更。
     ノザキのコンビーフンは昭和38年(1963)から販売された。 | 
	 
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	昭和38年(1963) 社名を洋酒の寿屋からサントリーへ
	変更の記念キャンペーンポスター。アンクルトリスの3コマ方式の非常に珍しいポスターです。 | 
		 
	   
     
     
     昭和38年(1963)の大卒初任給は19,000円でした。 
     記念すべき初の日米テレビ宇宙中継で大ショック、ケネディ大統領の暗殺画像が放映された。 
     庶民の高級乗用車の日産ブルーバードは583,000円でした。  
     
     
	
		
	
		    昭和40年(1965)から昭和51年(1976)まで大塚製薬の
		    オロナミンCの初代のCMを勤めた大村昆の琺瑯看板。
			キャッチフレーズは「元気ハツラツ」「うれしいとメガネがおちるんです」
			写真を比較すると、顔の角度、笑ってる口元、オロナミンCドリンクの
			かざす角度、そして何よりもキャップが違ってます。
			設置使用年度が違い左側は昭和40年から右は昭和47年から。
  
	
	       大塚製薬のオロナミンCの販売は昭和40年(1965)からですが当初は
	       写真で判るように王冠キャップでした。
	       スクリューキャップに変更したのは昭和47年(1972)からです。 | 
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    昭和39年は東海道新幹線開業、東京新大阪間1等5,030円。東京オリンピック開催。 
    昭和40年(1965)の大卒初任給は20,000円でした。 
    昭和40年、映画「007ゴールドフィンガー」昭和41年、ビートルズ来日でレコード熱。 
    昭和41年(1966)2ドアセダンのダットサンサニーが460,000円でした。  
    
    
	
   
  
		
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