歴史の
浪漫街道
孤高の時計塔は文明開化の遺産。銀座和光、東京駅中央駅舎、大手町野村ビル今も時を刻む
文明開化の歴史的遺産
孤高の時計塔 T
和光ビル(服部時計店)の時計塔
日本を代表する銀座4丁目の和光ビル(旧服部時計店)の時計塔。
偶然にも出合った非常に珍しい改修工事期間中です。 観光名所銀座4丁目という場所柄か建築年の昭和7年(1932)と時計文字盤が改修工事フェンスカバーに書かれていた。 撮影・04.11.25.
改修工事完了後の服部時計店和光ビル。東京の顔であり銀座の象徴として親しまれ日本の時計塔の代表である。 塔は9mで直径2.4mの文字盤は正確に東西南北に向いた4面の時計塔です。
注・設計伊藤為吉との資料もある。撮影・05.01.31.
設計者。 渡辺仁。代表作・横浜ホテルニューグランド・外堀通り第一生命館。 この二代目の建設は昭和7年(1932)。初代の時計塔は明治27年(1894)です。
赤煉瓦東京駅舎の時計塔
丸の内中央駅舎の時計塔
丸の内中央の赤煉瓦の駅舎
赤煉瓦南口の駅舎
誰もが知っている赤煉瓦の東京駅舎。
ルネサンス風建築の赤レンガ駅舎(丸の内側)の中央口と南口。国の重要文化財です。 関東大震災にも持ち応えた赤レンガ駅舎だが昭和20年の焼夷弾により炎上する。 昭和22年(1947)修復時に現在の二階建てとなる。駅舎建設は大正3年(1914)。
設計者。 辰野金吾(嘉永7年(1854)肥前国(佐賀県)唐津藩の下級藩士。東京帝国大学工科大学・現東大工学部)の学長。
27歳の時、明治13年(1880)イギリスに留学して西洋建築の二大様式のクラッシック系と ゴシック系の材料とスタイルを混ぜたクイーン・アン様式に感化される。
代表作・日本銀行本店、日本銀行京都支店、国会議事堂、中央停車場(赤レンガ駅舎)
関東大震災。 大正12年(1923)9月1日正午に関東南部を襲った災害史上最大の大震災。
震源は相模湾中央で強震のマグニチュード7.9。 関東全域と静岡、山梨に震火災の被害があり、焼失戸数は44万7千、死者は9万9千、罹災人口は340万余。 山本権兵衛内閣は東京、神奈川に戒厳令をしいたが、新聞社は社屋崩壊で5日の夕刊まで発行されず、 ラジオは未実施の時代であったために、 デマが流れ社会不安が起きた。
赤煉瓦駅舎は'12年春の完成を目指し南北ドームの円屋根と三階部分を大正3年建設当時の容姿に復元される
両国駅舎の壁時計
JR両国駅の壁時計。開業は明治37年(1904)で現駅舎は昭和4年(1929)竣工。
3連式アーチの窓にマッチしているレリーフに包まれた時計を掲げている。 壁時計のこのシンプルさ。ゆえに愛着と尊厳を感じるのです。 ちょっと他の駅舎では見る事がない両国駅全体が両国地麦酒のビヤステーションになっている。 両国駅北側の国技館のイメージで多くの方が「よこあみ」を横綱と誤読する。 墨田区横網1-3。撮影・05.09.08.
上野駅舎の壁時計
上野駅広小路口駅舎。
明治16年(1883)7月28日日本鉄道が上野〜熊谷間(現・高崎線)の始発駅として開業。 東京駅と上野駅のあいだがつながったのは大正14年(1925) 昭和2年(1927)には日本で最初の地下鉄が上野〜浅草間に開業。 上野駅広小路駅舎は昭和7年4月落成。
以降上野駅は東京と行き来する東北地方・北陸地方の人々にとって長らく東京の表玄関の役割を果たして来た。 昭和39年(1964)に井沢八郎が歌った「あゝ上野駅」が有名。平成11年(1999)に使用を停止した後に線路を撤去した18番線は、 集団就職で「金の卵」ともてはやされた東北地方からの若者を乗せた上京列車の到着ホームでもあった。 東京都台東区上野7丁目。
設計者。当時鉄道省工務課に在籍していた酒見佐市で建物の構造は地上3階・地下2階のRC造。
原宿駅の壁時計
JR原宿駅の壁時計。若者の町の表玄関であるがシックな駅舎にマッチしている壁時計です。 平成3年取り付け。 開業は明治39年(1906)で震災後の大正13年(1924)に再建された都内最古の木造駅舎なのです。 木の骨格の間をレンガ・石・土などで埋めるイギリスハーフティンバー建築。 渋谷区神宮前1-18。撮影・05.10.14.
東京都下のその他の歴史的木造駅舎。
左側。JR中央線国立駅。大正 14年竣工。
中央。JR中央線高尾駅。昭和 2年竣工。
右側。JR青梅線御嶽駅。昭和 4年竣工。
東京中央郵便局
東京中央郵便局の壁時計。文字盤と針だけのシンプルですが大型窓の一面を使用した壁時計です。 柱と梁を格子状にデザインした大きな窓が特徴のモダニズム建築で昭和8年(1933)竣工。 東京都千代田区丸の内2-7。撮影・05.08.30.
設計者。 吉田鉄郎(逓信省)。鉄・ガラス・コンクリートといった素材で機能や合理性を重視した 非装飾的な合理主義的建築の先駆けをつくる。代表作・京都中央電話局、大阪中央郵便局等逓信省関連施設。
日比谷市政会館
市政会館の時計塔。日比谷公園内南側に昭和4年(1929)に竣工。安田財閥からの350万円の寄付で建つ。 ゴシック風で正面頭部に4面ある時計塔。現在のものは昭和53年(1978)に新しく取り替えた文字盤です。 この建物は日比谷公会堂と共同使用で右側の写真は壁時計を付けた東西の公会堂の出入り口。 公園内には昭和58年(1983)に設置の大型のソーラー時計がある。 千代田区日比谷公園1-3。撮影・05.08.30.
設計者。 佐藤功一。代表作・早稲田大学大隈講堂、大手町野村ビル。
日比谷公会堂: 昭和36年(1961)上野公園に東京文化会館が出来るまでは 日比谷公会堂はオーケストラ、オペラ、バレエはもとより外国人音楽家等のクラッシックの殿堂であった。
中目黒金生堂の時計塔
中目黒メガネの金生堂の時計塔。
山の手通り東急東横線中目黒駅前で駅前再開発工事が行われており左右の建物は既に解体中です。 近々この建物も取り壊しになるのだろうか。 平成14年にオープンした中目黒ゲートタウンのオブジェ越しに観ると味があります。
東京都目黒区中目黒1-24。
既に解体工事が始る
中目黒ゲートタウンのオブジェ越しに
ゲートタウンからの遠望
金沢市の時計塔
金沢市内の通称時計塔の店カタオカ。
メガネサロンカタオカ。前記の中目黒メガネの金生堂の時計塔と同じイメージです。 カタオカは地元で「時計塔のお店」として慕われているのです。
石川県金沢市玉川町12-12。
ホテルコンチェルト新宿の時計塔
ホテルコンチェルト新宿のメルヘンチックな時計塔。
甲州街道沿いに風見鶏が付いた時計塔であるが、 ホテルの正面を中央高速道の高架があり視野を狭めて残念ながら気付き難い風見鶏が付いた時計塔である。 深夜に頭上を高速で走り去る車輌、テールランプ、それでも孤高にそして正確に時を刻み続けている。 昭和62年(1987)竣工。
東京都渋谷区笹塚1-61。
綿半野原総業ビル時計塔
綿半野原総業鰍xKBビルの時計塔。
重厚なビルであるがシックでもある。 どの方向からでも必ず眼に入る 4面式時計塔であり非常に珍しい。 左側はビルの裏側から右端は正面側。YKBエンサインビルは比較的新しく 平成3年(1991)竣工である。
東京都新宿区四谷4-28。撮影・05.06.14.
光世証券東京ビルの時計塔
光世証券東京ビルの時計塔。光世証券鰍ヘ昭和36年(1961)の設立。 平成11年(1999)に東京支店新社屋として建設の時計塔ですが、レリーフ壁のためか気付きにくい。
東京都中央区日本橋兜町9-9。撮影・05.06.01.
代々木NTTドコモの時計塔
JR代々木駅前のNTTドコモのペンシルビルの時計塔。JR新宿南口からもくっきりと見える高層時計塔。 NTTドコモ10周年記念事業として平成14年(2002)時計塔化された。 通信企業である特徴のビルの屋上に無数のアンテナが設置されている通信施設ビルです。
東京都渋谷区千駄ヶ谷5-24。
地上240m27階のノードビル。平成12年(2000)竣工。ノードビルは高層部にマイクロウエーブ用アンテナを 設置した次世代移動通信方式の施設を収容するための通信設備用建物である。収容人員は700名。
大手町野村ビルの時計塔
大手町野村ビルの時計塔。背後の高層棟と時計塔がオフィス街の風景にマッチしている。 ゴシック調のレリーフ、文字盤、この格調高き昭和7年の時計塔はまさに孤高の時計塔です。
時計塔の旧館の外壁だけを残し再生高層化された27階建てオフィスビルは平成6年(1994)竣工したが 再生ビルとまったく違和感がない旧館である時計塔のある7階建てゴシック調ビルの建設は昭和7年(1932)である。
旧館時計塔設計者。 佐藤巧一。代表作・早稲田大学大隈講堂、日比谷公会堂。
東京都千代田区大手町2-1。
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