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文明開化の歴史的遺産 |
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学び舎の時計塔/大学 |
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場所変われども教えは同じ / 光陰矢の如し |
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京都大学百周年記念館の時計塔 |
京都大学百周年時計台記念館。大正14年(1925)京都大学工学部建築学科初代教授・
武田五一が設計した時計塔。
白い針と菊文様のレイアウト、ローマ字が文字盤の四面時計塔は
80年近く京都大学吉田キャンパスのシンボルとして親しまれてきたこの本部本館は、
保存と保持のため新しく百周年時計台記念館として平成15年に新たな世紀を刻む時計塔として再生された。
北側の文字盤の下には時を知らせる鋼鉄製の鐘が付いており、8時、12時、18時に3回、鳴る。
京都市左京区吉田本町。 |
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京都大学: 明治30年(1897)日本で二番目の大学として東京帝国大学につぎ
日清戦争後の産業発展に伴う人材の必要性から京都帝国大学が創立された。
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時計塔は時を刻み楠は時代を見続けてきたのです。
京大時計塔の本部構内の再現模型は京大完成期である昭和14年(1939)当時で施設部所蔵の図面と
大学文書館所蔵写真から150分の1の模型で忠実に再現されている。 |
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同志社大学今出川キャンパス彰栄館 |
同志社大学彰栄館は同志社教員のD・Cグリーンが設計し施工は棟梁の尾瀧菊太郎。
アメリカン・ゴシック調であるが屋根は瓦葺き内部は純和風の寄棟造り。
竣工は明治17年(1884)。
時計塔の鐘と時計は明治20年(1887)に教員のJ・Dデイヴィスが据え付けた。
同志社大学今出川キャンパス内で最も古い建物であり現存する煉瓦造りの建物としても京都市内で最古のものです。
京都市上京区今出川通り烏丸東入。
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同志社大学: 明治8年(1875)官許同志社英学校として開校。教員は新島襄とJ.D.デイヴィス。生徒は8人であった。
明治9年(1876)に現在の今出川校地(薩摩藩邸跡地)に校舎2棟と食堂1棟を建て移転。
明治17年の彰栄館と他のクラッシックな煉瓦造り建物は明治19年の礼拝堂(チャペル)、明治20年の有終館(図書館)、
明治23年のハリス理化学館、明治27年建築のクラーク館の校内5棟が重要文化財です。 |
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4面時計塔の屋根は銅板張りローマ字の文字盤そして
時計塔のアーチを中心に見事に調和しているデザインの今出川キャンパスの赤煉瓦建物群です。 |
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