余丁町(よちょうまち)は幕府の御旗組(おはたぐみ)の居住地だった。 
			御旗組とは徳川家の旗印、いわば軍旗を預かった組織です。 
			町内に四本の横丁(路地)があったから大久保四丁町が通称だったが
			明治5年(1872)の明治の改編のときに「四」は「死」に通ずるというので余丁町の表記に改められた。
			昭和61年(1986)住居表示で「東新宿」となる予定であったが、
			住民運動が行政を動かし由緒ある江戸の地名保存がなされた。 
			この動きが共感を呼び、有識者の賛同も得て全国的な運動となり「全国地名保存連盟」へと発展していった。 
			しかし旧町名復活の動きにもかかわらず、平成の大合併で全国の由緒ある地名が変わっていった。残念だ!! | 
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