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文明開化の歴史的遺産 |
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街角の時計塔 T |
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街角で見かけた時計塔たち。造形美を競っていますがもうすっかり街角の風景に馴染んでいます。
風雪に耐えて時を刻み続けて時が過ぎ行けば次世代達が歴史的遺産だと評価することでしょう。 |
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内幸町みずほ銀行の時計塔 |
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内幸町交差点の時計塔。高層ビルにマッチした濃い黒色の4柱と紅色の枠縁の4面の時計塔です。
日比谷公園の市政会館の時計塔が遠望できる。
千代田区内幸町1丁目1。内幸町交差点みずほ銀行角。 |
市政会館を望む |
背景は高層ビル |
銀行のハートを入れた時計塔 |
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新呉服橋ビル公園の尖がり時計塔 |
新呉服橋ビル公園の尖がり時計塔。
超高層ビル新設ラッシュの夕暮れの喧騒の東京駅八重洲口を背景に静かに佇む尖がり時計塔です。
みずほ信託銀行隣接のこの公園は昭和55年特定街区に基つき設けられる。
平成16年区域内建築物設置認定。(説明版より)中央区八重洲1丁目2-1。 |
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旧第一生命館のシンプル時計塔 |
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第一生命脇のシンプル時計塔。
旧第一生命館角の垂直柱に上下に二個のみのシンプルな時計塔。
お堀に面した日比谷通りの生命のファサードが復元保存され後方に高層棟のDNタワー21は平成7年(1995)竣工。
東京都千代田区有楽町1-13-1。 |
旧第一生命館は、松本輿作、渡辺仁による設計で、1938年(昭和13年)に竣工。
地上6階、地下5階建てでした。戦後、占領軍司令部(GHQ)が置かれ、 ダグラス・A・マッカーサー(1880-1964)
司令官の執務室は6階にありました。 |
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錦糸町複合施設のオリナスモールの時計 |
錦糸町複合施設のオリナスモールの時計。
旧服部セイコー本社工場跡地に近年開業した複合施設です。
錦糸町・錦の糸・金色の屋根をモチーフにして時計塔?も金色でデザインされています。
墨田区太平4丁目1-2。 |
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上野広小路口のパセラビル時計塔 |
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上野広小路口のパセラビル時計塔。
雑多な歓楽街の複合ビルの時計塔は上野そのものの雰囲気を放っている。
台東区上野広小路口。 |
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渋谷道玄坂上の時計塔 |
渋谷道玄坂上の時計塔。
場所柄なのか夕刻迫るとロマンティックに七色のイルミネーションとメロディで時刻を告げるのです。
渋谷区道玄坂1丁目18。道玄坂交番前交差点。 |
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道玄坂:
江戸時代以来、和田義盛の後裔大和田太郎「道玄」がこの坂に出没して山賊夜盗の如く振舞ったとの伝説がありました。
しかし本来の道玄坂の語源は、道玄庵という庵があったことに由来すると考えられます。 |
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アキハバラデパート前の時計塔 |
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電気街に立つ |
簡略このシンプルな時計塔 |
デパート前の雑踏に立つ |
アキハバラデパート前の時計塔。
ラジオストア、オノデン、ラオックス等電気の街。
アキハバラデパートは駅ビル百貨店としてJR秋葉原駅に秋葉原会館名で昭和25年(1950)に開業。
当然ですが当時の写真にはこのシンプルな時計塔は写っていない。
国内最古参のこの駅ビルは残念ながら'06.12月末をもって閉店するのです。
電気街を見守った56年の歴史に幕を下ろす。千代田区外神田1-17。 |
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秋葉原電気街は太平洋戦争後、駿河台/小川町界隈の闇市が徐々にラジオ部品を専門に扱うようになり
昭和26年(1951)の露店整理令によってJRガード下に収容されたことが始まりといわれている。
しかし戦前からこのエリアで営んでいた
ラジオ部品の専門問屋広瀬商会とオリジナルラジオセット販売の山際電気商会が電気街の基礎を築いた。
秋葉原:明治2年(1869)の相生町の大火を機会に当時の明治政府下の東京府は9000坪に及ぶ火除地を当地に設置し、
明治3年に遠州(現在の静岡県)から火除けの秋葉大権現(あきば)
を勧請して当初は鎮火原と呼ばれたが以降秋葉原と称された。 |
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池袋西口公園の時計塔 |
池袋西口公園の時計塔。
東京芸術劇場前の広場にオブジェと共にシンプルに縦列に並んで時を告げている。
文字盤もシンプルな三面の時計塔です。劇場脇に夕暮れの中でポツンと桜だけが咲いている。 |
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池袋メトロポリタン通りの時計塔 |
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池袋メトロポリタン通りの三面の時計塔「出会いの鐘2000」
夕闇の雑踏の中で照明燈の淡い光に照らされて鐘3個が銀色に輝いている。
設置は名称とおり平成12年(2000)豊島区西池袋1丁目。
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東京新幹線のイメージ時計 |
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新幹線のイメージカラー |
銀色(日本橋口は工事中) |
中央口はオレンジ |
南口はライトブルー |
東海道新幹線八重洲中央南口の時計は電子時計から3面のアナログ時計に変わりました。
東海道新幹線をイメージする青地に白のラインの大型サイン&時計の大型時計です。
新幹線各改札口ごとに文字盤の色が異なります。
八重洲南口:ライトブルー、八重洲中央口:オレンジ、八重洲北口:銀、日本橋口:金です。 |
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東京駅:開業は大正3年(1914)で新橋〜東京駅〜上野の南北の大動脈がやっと直結。
ちなみに明治5年(1872)新橋〜横浜間開通。明治15年(1882)私鉄の上野駅開業。
東京ステーションホテル開業は翌大正4年で当初は精養軒が受託運営し内田百聞、
川端康成、松本清張らが逗留して執筆。
新幹線開業は東京オリンピック開催の昭和39年(1964)。
東京都千代田区丸の内1-9-1. |
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新宿中央公園の平和の鐘時計塔 |
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新宿中央公園の平和の鐘時計塔。12連のカリヨンの時計塔です。
大手精密機器メーカー「コニカ株式会社」(現コニカミノルタHD梶jの前身である
「小西六写真工業」の工場の敷地と淀橋浄水場の跡地に造られ昭和43年(1968)に開園した公園です。
副都心の中にありながら敷地面積は、88,000u(約2万6千640坪)もあり東京都庁の真裏にあるため、
一見、東京都立公園かとも思いますが新宿区立の公園です。
ここはカメラの発祥の地なのです。東京都新宿区西新宿2−10〜11。 |
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上野グリーンサロン前の三面時計塔 |
上野恩賜公園入口の上野グリーンサロン前のオブジェの3面時計塔。
緑豊かな公園になれと幹は太く強くそして成長のシンボル二葉の新芽を表現しているようです。
春近きなのか2月下旬の長閑な陽射しのしたベンチに皆が日光浴しながらの一休みです。
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京王線府中駅前の針無の時計塔 |
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京王線府中駅前の針無の時計塔。
秒、分、時を指す針が付いていない時時計です。
その時刻になると其の位置のレンズが点灯する方式のようです。
府中市府中1丁目2。京王線府中駅北口連絡路デッキ広場。 |
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八王子駅前の時計塔 |
三面球形の駅前時計塔。
JR八王子駅と東急スクエアを結ぶ駅北の歩行者専用通路のマルべリー
(桑の意で八王子は繊維の町を象徴して命名)ブリッジのエレベータ屋根に取り付けられている。
ブリッジは平成11年(1999)完成。八王子市旭町1丁目1番。 |
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八王子駅:明治22年(1889)八王子〜新宿に私鉄の甲武鉄道(明治39年に国有化される)
が開通する。当時の駅舎は現在の場所よりも150M西寄りであった。
明治34年には八王子〜上野原間(現中央線)が開通する。明治41年には横浜線、大正6年には八高線が開通。
八王子市人口54万人の玄関駅です。 |
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西武玉川上水駅前の時計塔 |
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玉川上水駅ロータリーの3連のカリヨン時計塔。
平成10年(1998)に多摩都市モノレール開業に伴い西武鉄道北口駅前ロータリーが整備され、
時計塔はその時に設置されたと思われる。昭和31年(1956)設置の大和米空軍基地の記念碑もある。
駅は立川市と東大和市との境にある。 東京都立川市幸町6丁目36番地の1。 |
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農林水産庁の時計塔と半蔵門線屋上時計 |
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農林水産庁の時計塔。
紺碧の空・海・森林をデザインした時計塔でしょう。
千代田区霞ヶ関1丁目2。 |
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錦糸町JR駅前の半蔵門線地下鉄出入口の屋上時計。
江戸湾に浮かぶ帆掛け舟をイメージしているのでしょうか。 |
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