三菱の歴史は明治3年(1870)に、土佐国安芸郡(高知県)出身の岩崎彌太郎
{天保5年(1835)〜明治18年(1885)50歳で永眠}が、、
土佐藩の開成館長崎商会に勤め、坂本竜馬が長崎に設立した亀山社中、その後の海援隊をなにかと応援した海運の経験を生かし、
大阪で始めた海運業の九十九商会(つくも・土佐湾の別名からの命名で明治3年に設立)に始まる。
岩崎彌太郎は、強気で、がむしゃらに働き日本の近代海運業の基礎を築くとともに、鉱山、造船、銀行、
保険などの事業を手がけ、その後の三菱グループ各社の発展の基礎を築いた。
岩崎彌太郎(社長在任明治6年〜18年)、弟の彌之助(在任明治18年〜26年)、彌太郎の長男の久彌(在任明治26年〜大正5年)、
彌之助の子の小彌太(在任大正5年〜昭和20年)と四代の岩崎家の社長が三菱グループの基礎を築いた。
そして終戦の昭和21年三菱本社は解体され各社は独立した企業となった。その数は現在293社ある。 |
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