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    復活・丸の内三菱一号館とアネックス

丸の内パークビルのメインゲート「アネックス」。09.12.20. アネックスの壁時計。09.12.20.   丸の内パークビルと復活した三菱一号館のメインゲート「アネックス」の壁時計。
丸の内馬場先通りに面し、 2つのビルの間は緑と噴水の一号館庭園広場になっている。
東京都千代田区丸の内2-6。
撮影:09.12.20.
丸の内パークビル前のアネックス アネックスメインゲートの壁時計

背後に丸の内パークビル。09.12.20. アネックスメインゲート。09.12.20. 対面の丸の内仲通りのティファニー。09.12.20. ティファニーの宝飾品や銀製品を醸し出す時計像。09.12.20.
丸の内パークビル アネックスメインゲート 対面のティファニ ティファニーのローマ数字時計

商業施設の丸の内ブリックスクエアと アネックスは「一丁倫敦と丸の内スタイル」の新スポットです。 「丸の内パークビルディング」「三菱一号館」は三菱地所の丸の内再構築計画の 第一弾プロジェクトなのです。  

グループの総本山三菱本社の復活。09.12.20.   平成21年9月(2009)に復活した赤煉瓦建築の丸の内三菱一号館。
日本初のオフィスビルとして明治27(1894)年に建築されたクイーン・アン様式のこのビルは、 我が国の高度経済成長のさ中、昭和43年(1968)に取り壊されました。
丸の内三菱一号館(旧三菱本社)を忠実に復活させるため、230万個の赤レンガを中国から運んで職人に手作業させるなど、外観だけでなく内観も豪華。 明治・大正期の執務室が再現された室内は、ガラスの歪みや金具など、 当時の家具の細部にもこだわりをもって復元されている。
歴史資料館として赤煉瓦復活

三菱の歴史は明治3年(1870)に、土佐国安芸郡(高知県)出身の岩崎彌太郎 {天保5年(1835)〜明治18年(1885)50歳で永眠}が、、 土佐藩の開成館長崎商会に勤め、坂本竜馬が長崎に設立した亀山社中、その後の海援隊をなにかと応援した海運の経験を生かし、 大阪で始めた海運業の九十九商会(つくも・土佐湾の別名からの命名で明治3年に設立)に始まる。
岩崎彌太郎は、強気で、がむしゃらに働き日本の近代海運業の基礎を築くとともに、鉱山、造船、銀行、 保険などの事業を手がけ、その後の三菱グループ各社の発展の基礎を築いた。
岩崎彌太郎(社長在任明治6年〜18年)、弟の彌之助(在任明治18年〜26年)、彌太郎の長男の久彌(在任明治26年〜大正5年)、 彌之助の子の小彌太(在任大正5年〜昭和20年)と四代の岩崎家の社長が三菱グループの基礎を築いた。 そして終戦の昭和21年三菱本社は解体され各社は独立した企業となった。その数は現在293社ある。
 

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