歴史の 浪漫街道 さくらの名木達  金鯱掲げる名城の名古屋城の空堀を春うららゆったり風にそよぐ桜たち
名木古木達の歴史的遺産


さくらの名木達 / 各地の桜


  top-kawaza3-.jpg(1150 byte)   名古屋城の空堀の桜

加藤清正と名城の名古屋城。'11.04.10.
花曇りのなかで風にそよぐ桜と金鯱掲げる名古屋城と加藤清正像が古を偲ばせる

天文元年(1532)、織田信秀が今川氏豊から奪取し那古野城と改名。 名古屋城は、徳川家康が天下統一の最後の布石として天下普請によって築城したとされる城で、 濃尾平野を見晴らかす高台に忽然と巨大な城郭が誕生したのです。  

二の丸空堀角。'11.04.10. 東門の空堀。'11.04.10. 二の丸空堀。'11.04.10.
二の丸空堀角の桜 東門の空堀でゆったり揺れる桜 こぼれ落ちんばかりの小枝の桜

名古屋を代表する桜の名所、名古屋城。ソメイヨシノ、シダレザクラを中心に約10種類、 お堀を含め約1,600本の桜があります。 名古屋城はいわゆる山城ではなく平地にあるので、開花状況は名古屋市内中心部とほぼ同じ時期です。
名古屋城の住所ズバリ: 名古屋市中区本丸1。撮影'11.04.10.
 

菜の花も咲き誇る二の丸の空堀。'11.04.10. 揺れる二の丸空堀の桜。'11.04.10.
菜の花も咲き誇る二の丸の空堀 ゆらりと揺れる二の丸空堀の桜

城内の二の丸、官庁街の三の丸の外堀の水は張られていない空堀です。 現在は西の丸の西堀と御深井丸と本丸の北堀のみが水堀です。  

西鉄門脇の桜。'11.04.10. 正門脇の堀を覆う桜。'11.04.10. 水湛えた西の丸堀。'11.04.10.
西鉄門脇の二の丸の角堀 正門脇の堀を覆う桜 水湛えた西の丸堀

徳川尾張藩主の居城の名古屋城は江戸末期の激動時期も潜りぬけてきた。 しかし昭和20年の戦火で惜しくも焼失し、昭和34年(1959)に再建された。
5重6階無傷の姫路城、加藤清正が名城の熊本城とともに日本三名城の一つ。
 

名城の金鯱名古屋城。'11.04.10. 熊本城主加藤清正。'11.04.10.   名城の名古屋城と加藤清正。
尾張国生まれ、豊臣秀吉とは血縁関係にある。 賤ヶ岳の戦いでは既に「七本槍」の1人に数えられた。その後も数々の武功を立て、 侍大将から27歳で肥後熊本の藩主となる。
金鯱の名古屋城 熊本藩主加藤清正

助役大名を命じられたのは福島正則 (広島城主)と加藤清正 (熊本城主)、池田輝政 (姫路城主)。 加藤清正は自ら進んで天守台を受け持ち、 清正が築いた天守台は、20メートルもの高さに美しく積み上げた高石垣であり、 その上面は天守閣一階平面と同じ形、大きさの長方形になっています。 これは、加藤清正の石積み技術が卓越していたことを示すもので、史上最大の天守閣の建築も、 着工からわずか2年後の慶長17年(1612)12月頃には完成させたのです。  

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